なぜわれわれは村上春樹に惹かれるのか
村上春樹氏の作品に出会い、読み始めてから30年以上が経ちます。
20代や30代の頃は、ご多分に漏れず、どうして「わたしのこと」がここに書かれているのだろうと思ったものです。
40歳をすぎると、そのような感覚は後退し、上質な文章に身を委ねていたい気持ちが強くなりました。
若い頃は「1973年のピンボール」が一等でした。
が、今は「ねじまき鳥クロニクル」が生涯の伴侶となっています。
これまでに10個の作品についてエントリーしてきました。
単なる数的な区切り以上の意味はないのですが、ひとまずまとめてみました。
頭を離れない
もうずいぶんと前に読んだ内容が頭の奥の方で息を潜めている。その当時の感性に見事にシンクロしたというよりも、自分では気づいていなかった扉を開けられたようだ。
闖入者村上春樹。
村上春樹を読み始め、これは他の作家と違うという認識が根を下ろしたのは次の2つの「思想」に触れたからです。
- 人は日々の生活の中で呪いをかけられる。呪いを解くには他人に呪いをかけるしかない。
- 死は生の対極にあるのではない。それは生の一部である。
前者は「パン屋襲撃」において語られたまさに呪いのような観念です。
わたしには「このこと」が実に腑に落ちました。
生きるということは「呪い」を他人からパスされ、それを他人にパスする過程である。
この場合の呪いとはあからさまな「邪悪」というよりも「不可解」と言ったほうがしっくりきます。
後者は初期作品のどこかに直裁的に書かれていたフレーズですが、どこであったかは思い出せません。
ドイツ観念論の哲学者がいかにも言いそうな警句のようですが、以来、頭を離れません。
村上の作品の底を流れる「暗い川」のごとく流れが枯れることは決してないのでしょう。
これら2つの「思想」がもっとも色濃く出ているのが「ねじまき鳥クロニクル」です。
ゆえに生涯何度も何度も読み返すことになりました。
いつまでも長編を読んでいたいという気持ちがある一方で、短編の魅力も抗いがたいものがあります。「パン屋襲撃」には衝撃を受けましたが、「納屋を焼く」も大好きな作品です。実に不可思議。あのようなテイストは他ではちょっとお目にかかれません。
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以下、過去に書いたエントリーに触れていきます。
翻訳(ほとんど)全仕事
手掛けたあまたの翻訳書に著者自身の解説が少しばかり添えられている。
コツコツと翻訳を積み上げることは簡単なことではない。
どこまでも勤勉で、かつどこまでも文章に貪欲だ。
作家とは言葉本来の意味で「肉体労働者」なのであろう。
そのことを世間に知らしめたのも村上の功績の一つであろう。
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若い読者のための短編小説案内
チャンドラーやフィッツジェラルドの影響を公言してはばからないので、日本文学はまったく毛嫌いしているのかと誤解をしていました。
が、もちろんそうではなかった。
文学に対してあくまでフラットな姿勢でした。
ここで取り上げられているのは第三の新人です。
わたしは第三の新人である庄野潤三や安岡章太郎が好みなので、ニンマリでした。
日常生活を描きながら世界の原理に触れてしまう彼らは村上そのものです。
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意味がなければスイングはない
作家村上春樹の構成要素のひとつであるジャズを巡り、ミュージシャン達に焦点を当てて書かれています。
具体的なエピソードの豊富さもさることながら、ジャズを通して見えてくる村上の考え方が極めて興味深いです。
「本物」についての彼の考え方がよくわかります。
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みみずくは黄昏に飛び立つ
インタビュアーの力量のおかげとはいえ、ここまであからさまに創作の秘密に触れれるものだろうか。
もちろん、今だからこそといった時期的な問題もあろうが、このさばけ方、割り切り感は尋常ではない。
村上春樹論をこれから書く必要のある学徒、学究には必読書となる。
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ぶっちゃけ過ぎでっせ。
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コミットメントの意味
村上春樹はデビュー当初から世間との、政治とのコミットメントを意図的に回避することを信条としてきた作家である。
アメリカでの生活を経て、彼の中で自己との関わり、他者との関わりが変容する。
それを成熟というのはあまりに表層的な見方であろう。
自己と非自己の関わり方が転回する。そして展開する。
彼の言うコミットメントとは決してつながらないものをつなげる倫理的態度を指す。
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海辺のカフカ
この作品はファンの間においても好き嫌いが別れる作品の代表的なものであろう。
なぜなら、物語としてこなれていないからである。
それにはもちろん理由がある。
村上が「批評」を小説のあちこちに散りばめたからに他ならない。
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アフターダーク
死は生の一部であるという基本的思想が反転しているかのようだ。
生は死の一部である。
我々の生の基盤が極めて脆弱であることが静かに語られている。
ドコニモイケナイ絶望感はやがて希薄化し我々の一部、いや全部となる。
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騎士団長殺し
満を持して放たれた長編はやはりスーパーヘビー級チャンプの貫禄だった。
まだ一度しか読んでいないが、これだけは分かった。
信じ切ることに賭ける。
信じることの本質はその投機性にあり賭博性にある。
生を賭して肯定するものがある人生こそが人生の名に値するのだ。
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スプートニクの恋人
巷では評価が今ひとつであるが、村上春樹を論じるときに避けては通れないキーテクストの一つである。
あまりにスタティックな読み方を過去にエントリーしました。
要するにいろんな読みを可能とする豊穣なテクストであるということだけが理解できればそれでいいです。
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木野
これもかなり強引な解釈を施しエントリーしました。
「スプートニクの恋人」と同じく多様な解釈を成立させる作家の力量をただ堪能すればいいのです。
できれば、この作品を下敷きにして長編を書いてほしいのは私だけではないと思うのですが。
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どうでしょうか?
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同時代に生まれたことの幸福
失礼ながら、え!あなたも村上のファンなのですか?という人にたまに出会います。
そこから一気に氷がとけることもあります。国民的作家の真骨頂です。
村上春樹を原書で理解できるという幸運を私たちは持ち得ました。
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日本人でよかった。
そして、同時代人としてタイムリーにその作品群に触れることは幸せというべきでしょう。
新作はもちろん待ち遠しいのですが、過去の作品を不定期に読む楽しみも捨てがたいです。
できれば集大成に向かうのではなく、一生走り続けるスタンスを貫いて欲しいなと勝手に希望します。
村上春樹をめぐるあなたの私の冒険はいつまでも終わりません。
辺境・近境(2017年10月1日追加)
旅に出ることでしか確認することのできない「自分」というものが誰にでもあります。
「ふるさと」を訪ねてみなければわからないことが、ある種の人間にはあるものなのです。
あなたは最近、「ふるさと」を訪ねましたか?
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回転目木馬のデッドヒート問題(2018年12月12日追加)
自由意志と運命というありふれた文学的命題は村上と無縁である。
われわれは、徹頭徹尾、自由意志を生きざるを得ない。
あなたが運命と呼ぶのは実は自由意志の不完全な部分に他ならないことを知るだろう。
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