読書の目的とは、いろいろ言われていますが、煎じ詰めればただひとつのことであると最近思うようになりました
読書の目的ってなんですか?
たくさんありそうです。人の数だけありそうです。

端的に言います。
脳の渇きを潤すための水分補給です。
読書の目的の2つの側面
読書の目的には2つの側面があります。
- 実用的側面
- 趣味的側面
実用的側面・・・必要に迫られて知識や知恵を獲得するために読書をします。
- 金を儲けるために
- 出世するために
- 試験に合格するために
などなど
趣味的側面・・・知的好奇心を満たしたり知的興奮を味わうために読書をします。
- もっともっと知りたい
- 面白く愉快な時間を過ごしたい
- 寝食を忘れ没頭したい
などなど
この2つの側面はまるっきりの別領域(フェイズ)とは言い切れません。
重なっているところも多く、つながっているところも少なくありません。

そう、お互いに干渉し、影響しあっているのです。
2つの側面を再構成する
実用的側面と趣味的側面を今一度、より具体的に再構成してみましょう。
次の3つの側面に再構成します。
- 本に書いてある内容を自らの血肉にしたい
- 行動するためのヒントを得たい
- 読書時間そのものを味わい尽くしたい
- 1は知識の獲得・増強のためのものです
- 2は知恵の創出・拡大となります
- 3は知的好奇心・興奮の充足となります

言い換えましょう。
- 1は脳を耕しています
- 2は脳を働かせています
- 3は脳を喜ばせています
いずれもの場面においても、脳に知的な刺激を結果として与えていると言えます。
なぜなら、脳自身が欲しているからです。
脳はつねに渇いている
脳は「考えること」を司る臓器です。
考えている状態が停滞・低減すると機能不全に向かいます。
考えるとき、ひとは知的な状態の只中にいると言えます。
その場合、人にもよりますが、苦しいときもあれば、楽しいときもあるでしょう。
考える、すなわち知的な状態に手っ取り早くなれるには、読書はこれまで一番簡便な方法でした。

でも、今は違います。
文字情報以外の刺激が世の中に溢れすぎているからです。
と同時に、
一部の人々は文字情報により刺激を受ける感度が鈍ってきているからです。
相対的なポジションとして「読書」が知的興奮を提供する力はまだそれほど衰えてはいません。
考えることから逃れられない脳は、常に知的に渇いた状態に(状況に)さらされています。
渇きは絶えず癒されなければならないのです。
水分がなによりも必要となります。
ここで言う「水分」とは知的刺激を与える「情報」にほかなりません。
水分の急速補給において読書を凌駕する媒体・方法は今のところ見当たりません。
質と量が高次元で担保され、どこまでも想像力を刺激してやまないその懐の深さは空前絶後。

今、あなたは渇いていませんか?

