今年で誕生から30年余りを迎える持続的物語に夢中
2020年4月から新シリーズ(攻殻機動隊 SAC_2045)が始まっている攻殻機動隊は、世界中に多くの熱狂的なファンを持つSF作品です。
士郎正宗という才能によって生まれ落ちたこの物語は、多くのクリエイターを魅了し、各時代において、いくつもの表現がなされてきました。
攻殻機動隊という統一的なラベリングがなされているものの、その形式や内容は多岐にわたり、圧倒的な多様性をあなたの目の前に展開します。
これまでの主たる発表作品(シリーズ)は次の通りとなります。
- 士郎正宗の手による原作マンガ「攻殻機動隊 THE GHOST IN THE SHELL」
- 押井守による劇場アニメ「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」「イノセンス」
- 神山健治によるTVアニメシリーズ「S.A.C.」(攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX)
- 黄瀬和哉と沖方丁によるTVアニメシリーズ(劇場映画)「攻殻機動隊 ARISE」
- ルパート・サンダースによるハリウッド実写版映画「GHOST IN THE SHELL」
- 神山健治と荒牧伸志によるWebアニメ(ネットフリックス)「攻殻機動隊 SAC_2045」
1990年代のはじめに登場したときの社会情勢と30年後の現在の社会のあり方はまるで異なります。
攻殻機動隊の描く世界があなたにとってそれほど違和感なくイメージできるほどに、テクノロジーは発展し、生活環境も激変しました。
けれども、追いついたわけでは決してありません。
今も「遠くない未来」が、逃げ水のように一歩先に永遠に続いているかのようです。
テーマの変遷
異なるクリエイターたちの手により発表されてきた作品群には各々、テーマがあります。
原作には「THE GHOST IN THE SHELL」とあるように、魂、すなわち人間を人間たらしめているものは何かという根源的な主題が問われています。
押井守による2つの劇場アニメも、基本的にはこの主題をめぐり構成されています。
彼の場合は「人間と人形」の対比によって、一層の鮮明化を図ります。
押井の描くテイストがその後の「攻殻機動隊」に与えたイメージの影響度は計り知れません。攻殻機動隊といえば、彼が描き出したフィルムノワールのテイストを直ちに思い浮かべる人も少なくないはずです。押井は「GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊」においてテーマカラーをグリーンとし、「イノセンス」ではオレンジを採択しています。基調が統一しているので、とても印象深い仕上がりとなっています。
絶大な人気を誇る神山の「S.A.C.」、すなわち STAND ALONE COMPLEXシリーズでは、その時々の社会問題を取り扱います。
ネット社会の闇や難民問題、薬物被害、貧困化を下敷きにしながら、個人と社会の関わりが主題化されています。
黄瀬和哉と沖方丁による「攻殻機動隊 ARISE」では、より複雑化した国家と企業の共存関係(共犯関係)がクローズアップされます。
と当時に、主人公の草薙素子の出自を掘り下げています。
原作や押井作品と呼応するように、「起源」の問い直しが前景化します。
ルパート・サンダースによる実写版映画「GHOST IN THE SHELL」は、押井作品へのリスペクトが随所に認められます。
ハリウッド的なわかりやすさが優先されているためか、古くからのファンの間では別物扱いの感が強いようです。
しかしながら、押井作品の主題を忠実に引き継ぎ、ここでも、個体性が主題となっています。
神山健治と荒牧伸志による「攻殻機動隊 SAC_2045」は始まったばかりです。
「S.A.C.」シリーズの一環であるために、個人と社会(国家)の関わりが描かれていくものと思われます。
今回は、持続可能な戦争と新たな支配種「ポスト・ヒューマン」=AIの脅威という側面から来るべき社会問題が先取りされているかのようです。
ジョージ・オーウェルのディストピア小説「1984年」が重要な鍵を握るような展開なので、個人と社会、個人と国家の関わりに一層焦点が当てられると考えられます。
それでは、一旦整理しておきます。
- 魂、すなわち人間を人間たらしめているものは何か(原作・押井作品)
- 個人と社会(国家)の関わり(神山作品)
- 起源の問い直し(黄瀬和哉・沖方丁作品)
- 個体性(ルパート・サンダース作品)
- 個人と社会(国家)の関わり(神山健治・荒牧伸志作品)
ユングとフロイト
攻殻機動隊をめぐる作品群が「私」を主題化していることは先に見た通りですが、「私」の探究はなにも文化的領域の特権ではありません。
「私」すなわち人間理解のアプローチを「精神分析」の側面から試みた次の二人の医学者はあまりにも有名です。
カール・グスタフ・ユングとジークムント・フロイトです。
彼らの無意識に対する理解はそれぞれに個性的であり、現代においても多くの示唆を与え続けています。
巨人たちの思想を料理する私自身の力量不足は十二分に理解していますので、ここではごく図式的な見通しを提示するに留めます。
ユングは、人類に共通する(共有する)集合的無意識を強調します
フロイトは、無意識の特徴として、抑圧されたものの回帰をあげます
「無意識」に対するこのような優れた理解については、後ほど触れることとします。
スタンド・アローン・コンプレックス
先ほどのテーマの変遷をあらためて以下に記します。
- 魂、すなわち人間を人間たらしめているものは何か(原作・押井作品)
- 個人と社会(国家)の関わり(神山作品)
- 起源の問い直し(黄瀬和哉・沖方丁作品)
- 個体性(ルパート・サンダース作品)
- 個人と社会(国家)の関わり(神山健治・荒牧伸志作品)
特徴的なのは、私の成立、起源への問いを出発点とした攻殻機動隊という作品を、より根源的な問いの立て方を一旦回避し、社会との関わりの中で「私性」の追求を試みる神山の独自性でしょう。
実際、彼の問題意識は、多くの共感を得て、その作品は広く支持されています。
その理由は、彼の提示した「S.A.C.」、STAND ALONE COMPLEX(スタンド・アローン・コンプレックス)というキーコンセプトにあります。
連帯せずに孤立する個人(スタンドアローン)が、全体として集団的な行動(コンプレックス)をとってしまっていると思わざるを得ないような社会現象(事件)。結果的に集団的な総意に基づいた計画的な行動(犯行)と見えてしまう特徴を持ちます。
集合的無意識という理解
ユングの考察を通じて、スタンド・アローン・コンプレックスという概念を理解するならば、あなたの納得感は増すものと思われます。
組織的意思に基づかずに、全体として集団的な行動(コンプレックス)が為されているのですから、その動機(原因)を求めた場合、集合的無意識(ユング)を措定することには一定の合理性があるでしょう。
ユングは共時性(シンクロニシティ)の提唱者のひとりです。
シリーズでは、シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)が描かれているのだから、それ以外の解釈を成立させろという方が無理な相談であるのかもしれません。
スタンド・アローン・コンプレックスは集合的無意識がもたらしたものであり、共時性が期せずして成立しています。
今日的な社会問題に対する見事な解答を「スタンド・アローン・コンプレックス」というコンセプトで神山は説明します。
「私」の問題の一側面を前景化した成果がここに現れていると言い得るでしょう。
抑圧されたものの回帰
次に「スタンド・アローン・コンプレックス」に対してフロイト的なアプローチを試みてみましょう。
フロイトは、無意識の特徴として、抑圧されたものの回帰をあげます。
抑圧された、全体としての集団的な行動(コンプレックス)とは、個人の意思・欲望(スタンド・アローン)の回帰であると考えられます。
同時に、その逆であるとも言えるのです。
抑圧された、個人の意思・欲望(スタンド・アローン)は、全体としての集団的な行動(コンプレックス)の回帰に他なりません。
つまり、
起源を問うことが禁じられている、起源への遡行が不可能であることが示されているのです。
神山は「スタンド・アローン・コンプレックス」と呼ばれる事態の解釈を一義的には明示しません。
特定しないことが想像力の刺激を助長するという考えからではなく、
どうあっても確定できかねるために明らかにされていないからなのでしょう。
「私」という最大の謎
魂、すなわち私の私性を問い続ける「攻殻機動隊」という作品に「終着駅(結論)」はありません。
なぜなら、
私を私たらしめているものの根拠を人は確定的に明示できないからです。
人間を人間たらしめているものの根拠を説得的に証明できないからに他なりません。
人間と人形の差異を追い求めれば追い求めるほど、互いの双子性ばかりが視界を覆います。
自己と非自己を分ければ分けるほどに、その境界は融解していくばかりです。
個人と集団を線引きすればするほど、主体性は宙吊りにされることでしょう。
やがてオリジナルであることの意味は消失し、全てが現実となり、現実でなくなります。
そのような世界を鷲掴みにしてあなたの目の前に提示するコスモスが、攻殻機動隊と呼ばれる物語群なのです。
最新作が経済や国家をクローズアップしていることはもちろん偶然ではありません。
経済も国家も「信用」を基底にしていますが、「信用」の信用性を誰も担保できません。
根拠の不在が世界を駆動し、同時にそれゆえに崩壊してしまう「現実性」をあなたは生きざるを得ないのです。
これが「私」のリアルであり「世界」のリアリティに違いありません。
ゴーストが囁く限り、あなたは作品群を読み続けることでしょう。
なぜなら、それは「あなたの物語」であるのだから。