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知のヒーローとしての山本義隆。あまりに難渋な知性。

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山本義隆という絶対知性

もう何年も前になりますが、山本義隆氏の著作『磁力と重力の発見』全三巻が新聞書評で紹介されていました。

そのなかに、

全共闘騒動の最大の損失は、山本義隆が研究者の道を外れ、後進の指導にもあたれなかったことだ」とあった。

湯川秀樹からその将来を大いに嘱望されていたと、以前にどこかで読んだことがあったので、そのとおりなのだろうと思います。

今更ながらに、京都から東大に「留学」していなかったら、と「もしも」を想像します。

内田氏のブログにて

内田樹氏が以前に書いた文章を以下にご紹介します。

少し長くなります。

東大全共闘は政治運動としてある種の完結性をもつことができたと私は思っているが、それは山本義隆という個人が「弔い」仕事を引き受けたからだ。痩せて疲れ果てた山本義隆が1974年の冬、東大全共闘最後の立て看を片付けているとき、彼の傍らにはもう一人の同志も残っていなかった。冬の夕方、10畳敷きほどある巨大な立て看を銀杏並木の下ずるずるとひきずってゆく山本義隆の手助けをしようとする東大生は一人もいなかった。目を向ける人さえいなかった。法文一号館の階段に腰を下ろしていた私の目にそれは死に絶えた一族の遺骸を収めた「巨大な棺」を一人で引きずっている老人のように見えた。東大全共闘はひとりの山本義隆を得たことで「棺を蓋われた」と私は思っている。

内田樹の研究室 2006年4月27日 「政治を弔うということ」

山本氏のイメージはわたしにとって徹頭徹尾この「孤独(孤高)感」をまとっています。

予備校にて

この市井の物理学者はいまも駿台予備校で物理を教えているのでしょうか。

さすがに高齢のために今はもう職を辞しているのかもしれません。

わたしは高校生のときに、知一般に憧れて、彼の夏季講座を友人に頼み込み、とってもらった経験を持ちます

文系志望にもかかわらず。

大阪の校舎でした。東京以外で受講できるのかと興奮したものです。

ロックスターに会いに行くような高揚感とともに数回にわたる彼の授業(ライブ)の席につきました。

内容は端から頭に入る余地などなかったのですが、ひとつだけ今でも覚えています。

「どのような法則も、高校の最初の授業で習う基礎的な法則に常に立ち戻りそこから出発しなければならない」

彼はそう言いました。

記憶にある限りは、二回。

原点に立ち返れだとか、基礎が大事というニュアンスがあったと思いますが、多分それ以上の意味がここでは込められていたのでしょうか。

一見すると非効率的な作業を通して彼がなにを「受験生」に伝えようとしたのかを、当時も今も全くわかってはいません。

わかるはずもないと、思います。

ささやかな夏の思い出。

上野にて

上野駅周辺は今ではもうすっかり小奇麗になり、昔日の面影は跡形もありません。

JRの駅の方から上野公園へ向かう横断歩道を渡ると公園と反対方向の先に、映画館と古本屋があったことを知る人はもう少なくなってしまいました。

その古本屋で偶然に、どうしても手に入れたかった山本氏の「知性の叛乱」を手に入れることができたのです。

ほとんど、奇跡に近い。

今も大事に手元に置いています。

マイヒーロー

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当時の彼の行動の功罪を私は直接に知りません。

知ろうという気持ちもまったくありません。

憧れだけが、現在もくすぶり続けています。

今も彼は私のヒーローです。

否定することと擁護することの境が見えなくなっている今日、彼が教壇に立つことと彼の講義を受けることの間に架かっていた「橋」は、もしかするとすでに焼け落ちてしまっているのかもしれません。

きっと、彼自身の「闘い」は生涯終わることがないのだと想像します。

本当に無責任な言い方をすれば、

「闘い」が向こうから消失しない人生は「幸福な人生」であるのでしょう。

なぜなら、多くの人生は人知れず闘争が手前勝手に逃走していくのだから。

言うまでもなく、叛乱は内なる魂の慟哭であるという解釈(噛み分け)は浅薄で野暮に過ぎるに違いあるまい。

ヒーローである人生とヒーローを持つ(待つ)人生のどちらが幸福であるのかは、もはや聞くまでもないはず。

そう、今更言うまでもないはず。

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✒︎ writer (書き手)

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本サイト「シンキング・パドー」の管理人、人事屋パドーです。
非常に感銘を受けた・印象鮮烈・これは敵わないという作品製品についてのコメントが大半となります。感覚や感情を可能な限り分析・説明的に文字に変換することを目指しています。
書くという行為それ自体が私にとっての「考える」であり、その過程において新たな「発見」があればいいなと毎度願っております。

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