つり革広告が私を手招く
一週間の終わり、帰途の車中、降りる駅に近づいたので、Kindleをしまい、ふと目を上げる。
つり革広告に、POPEYEの文字。
なんと、「僕の好きなアート」とある。
選択の余地なし。
本屋にまっしぐら。
会田誠氏インタビュー
記事の中で、会田氏は言います。
僕が思うに現代アートっていうのは近代アートの自殺みたいなもの。デュシャンの便器は何がすごいって、芸術家として「芸術の自殺」を最初に演じたから。
このような認識は広く共有されていて、ここが出発点である、らしい。
問題は、各アーティストの自覚の度合いなのです。
- 無自覚すれすれのもの
- 自覚しても何もできないもの
- 自覚していないふりを懸命にするもの
- 自覚を全面に出し開き直るもの
- 自覚と無自覚を無効にしてしまうもの
切りがない
戦いは、どの業界、分野においても、無慈悲で、凄惨です。
生き残ったものだけが歴史になるのでしょう。
思い出した画家
このポップな雑誌をめくっているときに、記憶が蘇りました。
以前にやたら気になっていた画家。
トワイヤンです。
松浦理英子氏の「ナチュラル・ウーマン」の表紙にあった、あの絵なのです。
いつか美術館でめぐりあいたいと思いながら、会えずじまいで現在に至っています。
この絵のタイトルは、たしか、「休息」であったような。
最後に
現代アートは、わかるわからないの罠にハマると、たぶん敬遠してしまいます。
そうではなく、いいな、なんかいいなあで、いいんじゃないでしょうか。
僕の好きなアート。
私の好きなアート。
ただ、それだけでしょう。
「ただそれだけ」だけが、現代アートが生き延びる道であるのかもしれません。