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世界のエリートはなぜ「美意識」を執拗に鍛えるのか?

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アートを意識する

分析・論理・理性に頼り切った経営が現在、臨界点を迎えようとしています。

複雑極まりない世界の実情をそれらの方法論ではもはや掴み切ることはできないのです。

問題解決の別アプローチが真に求められています。

アート的感性を突破口として世界のビジネスエリートはもがき苦しんでいるのです。

論路を超えるアート思考

現在、サイエンス思考を超えるためにアート的なものの見方が求められています。

過剰な論理性の追求が暗礁に乗り上げ、感性や感覚に光を見出そうとしているようです。

経営の意思決定において、世界のビジネスエリートはあの手この手を強いられています。

静的因果関係モデルに基づく論理的思考であるサイエンスの方法を駆使しても、複雑極まる現代の経営課題に対して適切に対処できないケースが頻出しているからでしょう。

ゆえに、動的因果関係モデルに基づく直感的思考であるアートの方法によってアプローチすることが流行のようです。

サイエンスは論理的・静的因果関係モデル

アートは直感的・動的因果関係モデル

要するに、

パドー

新しい視座の獲得のためにアート的な感性を積極的に利用しましょうということのようです。

素朴な疑問

ビジネスには合理性が必要不可欠です。

そもそも高度な判断を求められる経営判断において、理屈一本槍で結論を出す行為自体が合理性に欠けるとは思わないほうがいささか疑問です。

経営陣が直面しているのは、未曾有とまでは言わないまでも、どこかで見た問題ではないはずです。

求められるのは、常に判断ではなく、決断であるはず。

野村克也氏のコメントが思い出されます。

コーチは判断する。監督は決断する。

判断を極めるとは過剰なる論理の追求に他なりません。

ゆえに、ある意味、誰が考えても結論は同じとなります。

しかしながら、決断は違います。

論理の集積を別の視点で見る必要を迫られます。

なので、しばしば論理を超えた野性のような衣装ばかりが目につきやすくなります。

そうではなく、言うならば、論理性を別の次元で論理的に見直すということなのです。

本エントリーではこれを合理性と呼びます。

その意味から、監督業はアーティストと言って過言ではないでしょう。

ということは、経営者も当然にアーティストであらねばなりません。

美意識とは

アート的な思考の中心となる美意識とはなんとも厄介な代物です。

一筋縄では定義しきれません。

ただ、ひとつ言えるのは、人はパターン化されたものに美を感じやすということです。

カオスよりも規則正しい法則性に、シンメトリーに美を感じます。

であるならば、それは合理性が持つ特筆すべき表情とは言えないでしょうか。

大棋士である羽生善治氏はかつて次のようなことを言っています。

局面は美しい方が正しい。

これは次のように解釈できます。

人は美しさを感じる感じないにより、合理性を直観的に理解することができうる。

言い換えると、合理性とは論理だけの専売特許ではないということです。

美意識の問題を突き詰めるとドイツ観念論の大家であるヘーゲルやカントの登場となり、手に余ります。

よって、ここではこれ以上、触れないこととします。

アートに賭ける

論理的思考の硬直性をアート的感覚で打ち破るために、積極的にアートに接するというその方法論を滑稽と笑うことは簡単です。

あなたが注目すべきは、世界は不安定であり、不確実であり、複雑で、曖昧であるという事実です。

ものの見方を変えることは、いささかも容易ではありません。

間違ってならないのは、経営において戦うための武器は合理性だけであるということです。

占いや迷信や妄信は願い下げです。

第六感などもってのほかです。

分析だけが合理性を尽くせる道具ではなかったという事実に現在のビジネスエリートたちは気づきました。

しかしながら、ただひとつ懸念されます。

アートに過度の期待をすることは、もうひとつのサイエンスを徹底することに他ならないのだと。

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✒︎ writer (書き手)

人事屋パドーのアバター 人事屋パドー レビューブロガー

本サイト「シンキング・パドー」の管理人、人事屋パドーです。
非常に感銘を受けた・印象鮮烈・これは敵わないという作品製品についてのコメントが大半となります。感覚や感情を可能な限り分析・説明的に文字に変換することを目指しています。
書くという行為それ自体が私にとっての「考える」であり、その過程において新たな「発見」があればいいなと毎度願っております。

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