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「グラン・トリノ」イーストウッドの「東京物語」だったのか

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評価の高いグラン・トリノをみました。これは傑作!

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遅ればせながら「グラン・トリノ」を大阪に向かう新幹線のなかで視聴しました。

パドー

素晴らしい

みなさんが褒めちぎるだけのことはあります。

何か書こうと思う段になって、これは一筋縄ではいかない物語であるとあらためて思いました。

かんたんに理解させてくれない物語構造。

以下、内容に言及しておりますので、あらかじめご了承ください。

クリント・イーストウッドの「東京物語」

本作について、どう書こうかと思いを巡らしました。

小津安二郎の「東京物語」との共通項をいくつか有しているのが分かったので、自分なりにこの傑作へのアプローチがほのかに見えました。

しかしながら、

この二作を比較しながら論じるには時間がある程度かかりますので、本日は共通項をいくつかピックアップするに留めます。

パドー

いつか、もう少しばかり突っ込んで展開したいと考えます

  • 年老いた男性(夫であり父親)が主人公であること
  • 都市の物語であること(東京とデトロイト)
  • 戦争が色濃く影をさしていること
  • 血の繋がらない者にもっとも肉親の情が表現されているところ
  • 配偶者の不在が決定的であること
  • 主人公が世の中から取り残されていること
  • 父と息子はすれ違ったままであること
  • 誰一人聖人ではないということが象徴的に描かれていること
  • 極めて土着的に描かれていながら普遍性が全面的に獲得されているところ

ブログを書こうとしなかったら、決してこれらの視点には自分自身届かなかったと思います。

パドー

ブログを書くことの効用ですね

もちろん、両作品の違いは嫌というほどあります。

たとえば「グラン・トリノ」のテーマである「友情」は「東京物語」には描かれていません。

「グラン・トリノ」を理解するために「東京物語」との類似性をテコにすることは意味ある発見であると考えます。

グラン・トリノとは

これは2008年にクリント・イーストウッドが主演し、監督したアメリカ映画です。

タイトルの「グラン・トリノ」とは、フォードが生産(72年型)し、主人公が所有する、そしてその生産に携わった彼にとって思い出深いビンテージ・カーのことを指します。

イーストウッドはこの作品を最後に俳優業は引退しようと考えていたようです。

そのために、ある程度の思い入れのあった作品であり、役であったと推測されます。

主人公はフォードの自動車工場で長年勤めあげ、朝鮮戦争において3年間戦った過去を持ちます。

今では妻をなくし、二人の息子や孫たちとの心のふれあいもなく孤独に意地を張りながら余生を送っています。

時折、血を吐くことから余命が幾ばくもない状況にあることが伺えます。

かつては隆盛を誇ったデトロイトの街はいまや白人以外の人種が大勢暮らしており、彼の隣人も東洋のモン族といった有様です。

隣人の姉弟との交流から徐々に心を開きながら、彼らに降りかかる厄災を振り払うことを決意し、街のチンピラども(モン族)に彼なりの決着をつけて、物語は終わります。

多面的な解釈を可能にする物語

この物語は、新旧世代の価値観の相違やアメリカ社会の人種間問題、経済戦争の影響など多面的な見方を可能にします。

と同時に、クリント・イーストウッド自身のキャリアに重ね合わせる観方を提示する論者もいます。

パドー

他人のコメントを読んで、なるほどなあと思うものもありました

荒野のガンマンとして、暴走刑事として散々、相手を撃ち殺してきたヒーローがけじめをつけるために、最後に拳銃を抜かずに、丸腰のまま蜂の巣にされるのは、非常に示唆的である、とか。

パドー

なるほどなるどと感心しました

物語の魅力

この作品が人々を強く引きつけるのは、クリント・イーストウッドの温かみのある視線を見る者がスクリーンのそこかしこに感じ取るからに他なりません。

それはある時は物言わずたんたんと提示され、あるときはユーモアの形を取って目の前に差し出されます。

重い腰を上げて隣人のパーティーに参加した主人公が、時間が立つにつれモン族に溶け込み、やがて次から次に女たちに料理を取り分けられながら、無抵抗なまでに黙々と口に運ぶその圧倒的に幸福な絵面。

モン族のしきたりとして、罰として社会奉仕が義務付けられるなか、隣人の少年タオを近所の困りごとやちょっとした仕事をさせながら、それを距離を置いた場所から興味深く見つめる主人公の視線。

主人公の人生の唯一の伴走者となった飼い犬の老いぼれ犬デイジー(この名前を聞くとグレイト・ギャツビーの元恋人の名を直ちに思い出してしまいます)の曰く言い難い佇まいの品の良さ。

ラストシーンの川と木々の緑の奇跡的なほどの親密さ。

これらのショットやシーンがあるだけで、この作品がどれほど魅力に満ち溢れた作品であることか直ちに分かることでしょう。

頑固であること

主人公は一見すると時代遅れの頑固爺であると理解されがちですが、実際は極めてフラットな考え方の持ち主のようです。

彼は偏見に満ちていますが、その偏見の奴隷では決してありません。

亡き妻が頼りにしていた教会の年若い神父をバカにしていましたが、彼が自分の言葉で語りだしたとき、素直にそのことを認めます。

今日は銃に弾を込めて、俺の所に来たようだな。

また、モン族の姉弟との交流を通じて、その友人たちとも極めてフランクに接するその態度は柔軟性の高さや精神の若々しさを感じざるを得ないのです。

決着の付け方

彼は少年タオにつきまとう街のチンピラ(タオの従兄弟を含む)をタオから引き離すために行動を起こしますが、それによりタオとその姉は筆舌し難い被害をうけることになります。

そのことを後悔し、解決を図るべく主人公はある作戦を試みようとします。

単純に相手に復讐するという方法ではない作戦を立てます。

最愛の妻を亡くし、病気のために余命少ない身に、日々の安らぎとして隣人の姉弟との心の交流があったはずです。

その将来ある二人がこれからもチンピラに迷惑をかけ続けられることを断つには、彼らの存在を亡きものにするしかないのでしょう。

少なくない数の相手にたった一人で対峙することが現実的でないことは元軍人であるため、彼には自明です。

そのために、永久に二人からチンピラどもを遠ざけることはできないながらも、彼らを長期に亘り刑務所に繋ぎ止める策を考えだしたのでしょう。

すなわち、丸腰の老人として蜂の巣にされることを。

ここは自己犠牲の尊さが強烈に描かれているので、訴求力は尋常ではありません。

実際、彼は暗闇の中で十字架に貼り付けられたかのように両手を水平に広げ、足を真っ直ぐに伸ばしたまま息絶えます。

朝鮮戦争での戦闘行為によって妻のいる天国に行けるはずもないと思っていた主人公が、この自己犠牲(サクリファイス)により最愛の人と出会えたであろうことをこのショットから見て取ることは、行き過ぎではないと思っていますが、どうでしょうか。

彼なりの決着の仕方

この決着の付け方には自己犠牲の精神を感じると同時に次のことが意図されていたのではないかと思えます。

彼は若き神父より懺悔に来いと散々言われてきましたが、命を投げ出す覚悟をした後、この世にお別れをするために、いろいろな整理を始めます。

初めて背広を仕立てたり、馴染みの床屋で髭をそったり。

その一つとして、教会に懺悔に行きます。

彼は3つのことを懺悔しますが、彼を苦しめている戦争での自発的行為については口にしません。

実際神父も、それだけかと口にする始末です。

彼は神を信じていないわけではないのですが、始末は他人がしてくれるものではないという信条をあくまで手放しません。

ゆえに、最後の最後に虫の良いことはできないと思う「頑固な」人間なのです。

そして、その「頑迷さ」に私は彼の人間らしさをみます。

朝鮮戦争から帰ってきてから、それなりに幸せであったはずですが、彼は死に場所を求めていたのかもしれません。

特に、最愛の妻(彼にとってのマリア様)がなくなった後は、生きる意味もあまり感じることもなかったのでしょう。

それ以上に自分を戦争に送り込んだ国家に落とし前をつけたかったはずに違いありません。

彼は戦争の後遺症により社会的不適合者になるほど精神を病んでいない、意志の強い人間です。

その怜悧な頭脳により彼は結論を出しました。

今回の自分が良かれと思った行為が結果として姉弟に災いをもたらしたことを終焉させるためには、それと同時に自らの戦争の罪と、国家に落とし前をつけさせるためには、どうすればいいのか。

自らは撃たず、東洋人の手により命を奪われ、国家主導のもと彼らを牢屋にくくりつけるには。

一石三鳥があるのかないのか。

その答えが、丸腰の蜂の巣です。

悪党どもの始末を国家(国家権力)に始末させる。

それが、彼の始末の付け方だったのでしょう。

重層的ものがたり

この監督の作品は、一見すると極めてステレオタイプに物語が進行し、安心して見ていられます。

パドー

満足度も総じて高い

しかしながら、あらためて作品のことを考え出すと途端に思考は迷走を始めます。

全然一筋縄ではいきません。

まるで漱石の作品のようです。

機会があれば、ぜひ作品に身を委ねてみてください。

ラストのイーストウッドの歌声は渋すぎます。

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✒︎ writer (書き手)

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本サイト「シンキング・パドー」の管理人、人事屋パドーです。
非常に感銘を受けた・印象鮮烈・これは敵わないという作品製品についてのコメントが大半となります。感覚や感情を可能な限り分析・説明的に文字に変換することを目指しています。
書くという行為それ自体が私にとっての「考える」であり、その過程において新たな「発見」があればいいなと毎度願っております。

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