クリント・イーストウッドの戦争観が凝縮している連作
大阪に出張する際は、最近はアマゾンプライムをダウンロードし、新幹線の車中で視聴を繰り返しています。
クリント・イーストウッドの作品が圧倒的に多いです。
今回は、
- 往路は「硫黄島からの手紙」
- 復路は「父親たちの星条旗」
どちらも迫ってくるものがありました
以下、内容に言及しますので、予めご了承ください。
二部作の意味
「父親たちの星条旗」を撮ったあと、クリント・イーストウッド自身が「硫黄島からの手紙」も監督した二部作です。
というのも、当初「硫黄島からの手紙」は日本人監督に撮らせる予定だったそうです。
日本人びいきかもしれませんが「硫黄島からの手紙」のほうが断然良かったです。
「父親たちの星条旗」はアメリカ軍からの攻防を「硫黄島からの手紙」は日本軍からの攻防を描いており、それらを俯瞰するような視点は徹底的に排除されています。
しかしながら、
この2つの作品を両方を見ることによって、相互補完的な理解が促進されるかといえば、必ずしもそうではないと思われます。
全くの独立作品ではないのですが、両作品を見ることにより相乗効果的に理解が深まるという感じを私は受けません。
不思議なテイストです。
父親たちの星条旗は揺れているか
「星条旗」はあくまで、父親たちのもので、男たちのでもなく、私達のでも、ありません。
父親たちとは「戦場に立った者共」の総称です。
「立った者」と「立たなかった者」の間にはあらかじめ意志の疎通が断絶されています。
「戦った者」と「戦わなかった者」との間には超えがたい距離が横たわります。
当時、有名になりすぎたこの戦場の写真は「国威発揚の象徴」として大いに利用されます。
この映画を見る我々の目には、それは同時に「伝えることの根源的な不可能性のシンボル」として映るはずです。
硫黄島からの手紙は何処へ
愛する人たちのもとには決して届かなかった手紙が物語のラストにスクリーンを覆い尽くします。
生きて帰ることを禁じられた者たちは自らがしたためる文字が、愛する人たちの瞳に決して映らないことをあらかじめ分かっていたはずです。
でも、書かざるをえなかった。
自分自身のために。
愛する人を思う愛する気持ちを自分の中にまだ残っていることを確認するために。
それは狂気へ傾斜しないための錘であったのかもしれません。
これらの届くことをあらかじめ禁じられた膨大な手紙は、「伝えることの根源的な不可能性のシンボル」に他ならないのです。
それはそのまま、インターコースとしての戦争に対する根源的な反対表明になっているに違いありません。