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「Us」わたしたちの同一性を揺さぶる極めて危険な映画

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わたしの同一性を超えて、わたしたちの同一性に切り込んだ問題作!

出典:公式サイト

「ゲットアウト」でアカデミー賞脚本賞を受賞したジョーダン・ピエールの監督作品である本作は、カテゴリーとしてはホラーに属しているとひとまずは言えます。

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しかしながら、本作「Us(アス)」は実際、観る人によって様々な顔を見せる傑作映画です。

ホラーであり、スリラーであり、サスペンスであり、SFであり、社会派であり、ホームドラマであり、ある種のコメディでもあります。

私が興味をそそられたのは、本作が「わたし」の自己同一性の脆さを超えて「わたしたち」の自己同一性の危うさを炙り出している点にあります。

以下、内容に言及しますので、あらかじめご了承ください。

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ストーリー

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カリフォルニア州サンタクルーズを訪れるアデレード一家。夫のゲイブ、娘のゾーラ、息子のジェイソン。彼女が幼少期を過ごした思い出の地で楽しい夏休みを過ごそうとする4人家族に悪夢が襲いかかります。ある夜、自分たちと「そっくり」な「わたしたち」がやってくるのです。

やってくるのは、彼らのクローン、つまり彼ら自身です。

誰が何の目的で大勢の人間のクローンを地下世界で「生産・育成」し、その後、捨て去ったのかについての詳細な説明はなされません。

地下に閉じ込められたクローンたちはテザード(縛られた者)と呼ばれる存在です。

ユニフォーム(ある種の作業服を連想させる)のような赤い服を着用し、先の尖った裁ちばさみと思われる大きなハサミを武器とします。

彼らは長い時間をかけて周到に準備し、表の世界の「自分たち」を排除しようと活動を開始するのです。

子供の頃のアデレードがクローンと遭遇した時に着ていたTシャツにはマイケルジャクソンの「スリラー」がプリントされており、ジェイソンが遊園地を訪れた際に着ていたTシャツの胸にはスピルバーグの「ジョーズ」がプリントされています。これは、この映画がある種のゾンビ映画であり、パニック映画であることを示唆しているのです。

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主演のルピタ・ニョンゴは「それでも夜は明ける」によりアカデミー賞助演女優賞を受賞しています。

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冒頭シーンのスタイリッシュさはため息が出ます。特に、ウサギのグリーンアイに釘付けとなるアップからのゆっくりとしたカメラの引きに、胸騒ぎ以外の何物でもないコーラスが被る一連のシーンは何度見ても飽きません。グリーンアイとは「嫉妬の目つき」の意味があり、オリジナルに対するクローン(テザード)の複雑な心情を象徴的に描く演出が施されていると言えるでしょう。

わたしがすり替えられる

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物語の最後に、主人公のアデレードが遊園地のミラーハウスにおいて、自身のクローン(テザード)と入れ替えられていた事実が明かされます。

印象的なラストシーンは、自己同一性の危うさや脆さを的確に描いています。

印象が強いので、ここだけに注目すると、わたしの同一性の問題にのみ焦点が当てられていると理解を限定してしまいかねません。

もちろん、そのような要素も含まれているのですが、射程はもう少し広がりを持ちます。

本作は、終始、わたしたちの同一性が問われています。

クローン(テザード)たちが言葉を喋れない中で、アデレードだけがたどたどしいながらも言葉を操られるのは、彼女がオリジナルであるからに他なりません。同時に、彼女が今回の表の世界への進攻を画策したリーダー的存在であることもこのことにより理解できます。アデレードのオリジナルとクローンとの死闘が決着する際に、オリジナルが子供の時に吹いていた口笛を吹く行為は自分こそがオリジナルであることの証なのです。口笛をやめさせるために、手錠をはめたクローンがオリジナルの首を締め上げ絶命させるシーンはあらゆる意味で象徴的かつ印象的なシーンとなっています。

僕たちだ

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リンビングで否応なく、彼らと対峙したときに、ジェイソンは思わず口にします。

僕らだ・・・

「They are us」という語の不自然さとは異なる不自然さ(居心地の悪さ)を「We are us」というフレーズは持っています。

「We are us」は自明であるゆえに、あえて誰もそのような主張はしません。同一性が揺らぐことはいささかもありません。

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しかしながら、

「They are us」と誰かが主張するとき、そこには本来異なるものが同一視されなければならない理由や根拠が前提とされます。

つまり、

そこには人為的な約束事の上にしか成立しない関係性が逆照射されてしまうのです。

本音で言えば、本当は認めたくない、同意はしたくないなのだが、といった腹の底が透けて見えてしまいます。

タイトルである「Us」とは、United States(アメリカ合衆国)を容易に連想させます。

本作が、人種差別、宗教問題、貧富の格差、所得格差、地域格差などの簡単には解決しない難問を抱え喘いでいるアメリカを象徴的に描いているのだということが、お分かりになるはずです。

USにおいては「Us」と発せられる時、そのイメージは人の数だけ存在すると言わざるを得ません。

ラストシーンの手前で息子のジョンソンが、実は母親がすり替わっているのではないのかという疑問を持ち始めたという演出がなされます。なぜそのように気づいたのかは明瞭に示されていません。おそらく、地下世界に連れ去られた時に、家族がクローン(テザード)であると思っていた相手(オリジナルのアデレード)から真相を聞かされたのだと想像します。

正統性とは?

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映画で丁寧に描かれているように、一家4人はそれぞれに何らかの形で、自分たちのクローンをその手で死に至らしめます。

その決着の仕方は、彼らが拘っている(関わりのある)アイテムが関係します。

夫のゲイブは、お気に入りのモータボートのスクリューによって辛くも凌ぎます。

運転をしたいとゴネていた娘のゾーラは、自らハンドルを握った車で跳ね飛ばします。

火に対して好奇心が抑えきれない息子のジェイソンは、奇想天外な方法で相手を火の海に送り込みます。

アデレードは手錠をかけられた手によって絞殺します。

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ここで描かれているのは、オリジナルのオリジナル性、すなわち正統性です。

オリジナルが勝利することで、アデレードを除く3人についてはその正統性は確保されます。

しかしながら、

アデレードの場合は、そうではありません。

オリジナルが息絶えるからです。

正統性は彼女の場合だけ成立しません。

成立しないのですが、この違和によって、ある疑問があなたに生じることでしょう。

正統性とは何か?

映画の冒頭でTV画面の中に映し出される、貧困層の救済を目的とした「ハンズ・アクロス・アメリカ」の映像において、灯台の映像が反転する場面があります。これにより、これから始まる物語が、オリジナルとクローンの問題である、すなわち反転可能性をクローズアップする物語であることを示しています。

わたしたちの同一性の行方

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アデレード一家にとっての正統性とはオリジナルの母親を迎え入れることではないはずです。

いうまでもなく、この家族はクローンであるアデレードの家族であるのだから。

正統性に揺さぶりがかけられます。

わたしたちとは何か?

  • わたしたちの同一性とは何が保証するのか?
  • 何をもって定義づけされるのか?

もちろん、監督のジョーダン・ピエールは用意しています。

たったひとつの答えを。

僕らなのだ。

この答えは、線引きの放棄、すなわち区別の廃棄です。

あなたもわたしも仲間であるは、わたしの味方はいない、すなわち全員が敵であるに容易に傾斜します。

なぜなら、

もはや、誰も線を引くことができないからです。

ラストシーンは、クローン(テザード)たちが、手をつなぎ、数珠の如く連なるハンズ・アクロス・アメリカを模倣する姿を描きます。

この俯瞰的構図を見れば、それが直ちに分断線、すなわち「国境」であると理解できるはずでしょう。

わたしたちの行為・連帯は、自壊的に、わたしたち自身を分断し、同一性を消し去ってしまうのです。

ラストシーン近くの逃走中の車の助手席に座るジェイソンの胸に地下世界から連れてきた一匹のウサギが抱かれていることに注目しましょう。それは彼が今まさにウサギ(臆病者)のような不安定な心理状態にあることを示していると同時に、オリジナルの母親であるアデレードの「形見」を持ち帰ったと言えば言い過ぎになるでしょうか。運転席の母親のわずかに上がる口角に目を止め、何かを諦めたようにお面を被り直した後に映る彼の瞳がオープニングのウサギの眼に二重写しになる心憎い演出にあなたはきっと気づくはずです。二つの別々の瞳に映っているのは紛れもなく「諦念」に他なりません。

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✒︎ writer (書き手)

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本サイト「シンキング・パドー」の管理人、人事屋パドーです。
非常に感銘を受けた・印象鮮烈・これは敵わないという作品製品についてのコメントが大半となります。感覚や感情を可能な限り分析・説明的に文字に変換することを目指しています。
書くという行為それ自体が私にとっての「考える」であり、その過程において新たな「発見」があればいいなと毎度願っております。

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