全てはジェームズに還る
新しいジェームズ・ボンド像を確立したダニエル・クレイグの007シリーズは、本作「ノー・タイム・トゥ・ダイ」で終了となります。
5作品、15年の長きにわたる「ダニエルのボンド」の新作を今後スクリーンで見ることはできません。
以下、現在上映中の「ノー・タイム・トゥ・ダイ」を中心に、彼の関わったシリーズ全体について考えたことを少しばかり書きます。
内容に言及しますので、まだ観ていない方はご注意ください。
あらすじ
以下、公式サイトから引用します。
ボンドは00エージェントを退き、ジャマイカで静かに暮らしていた。しかし、CIAの旧友フィリックスが助けを求めてきたことで平穏な生活は突如終わってしまう。誘拐された科学者の救出という任務は、想像を遥かに超えた危険なものとなり、やがて、凶悪な最新技術を備えた謎の黒幕を追うことになる。
字幕の担当が戸田奈津子さん(1936年生まれ)であることに驚きました。衰えない仕事っぷりに脱帽です。
転換点としての「ダニエルのボンド」
これまでの007シリーズの延長では、早晩しりすぼみになるという危機感からシリーズは見直しが図られました。
「一新」するためには、イメージチェンジは不可欠です。
甘いマスクとプレイボーイ調という系譜から一線を画した無骨で無愛想な人選がなされたはずです。
加えて、これまで避けていた「ブロンドにブルーアイズ」があえて選択され、クレイグは起爆剤として大いに期待されました。
キャスティングの発表直後は、プレスを中心に世間の評価は最悪に近かったようです。
けれども、撮影中の海辺のシーンのスナップショットがパパラッチにより撮影・発表されるやいなや風向きは徐々に変わっていきます。
第一作の「カジノ・ロワイヤル」が公開されると、圧倒的な好評を獲得し、彼は一気にスターダムにのし上がります。
ダニエルシリーズの特徴
「ダニエルのボンド」の5作品は、結果として全てのストーリーが繋がっています。
当初からある程度、連続性は意識していたと思われますが、シリーズ構成上の大した破綻もなく5作品目で見事に完結に至りました。
本シリーズは、ジェームズ・ボンドの誕生からその死までの個人史です。
商業映画である限り、その人生はドラマテックでエキサイティングなものを義務付けられます。
彼の生い立ちに、邪悪で巨大な力が絡みながら、物語は進行し、終焉を迎えました。
諜報員(暗殺者)の誕生「カジノ・ロワイヤル」から、経験を積み「慰めの報酬」、老いと戦いながら「スカイフォール」、呪われた自分の生い立ちから逃れようとし「スペクター」、人生に対する最終的な決着をつけます「ノー・タイム・トゥ・ダイ」。
この一連のシリーズでは、洒脱さや軽いノリは後方に退きました。
人間ジェームズ・ボンドの心理や感情が前面に迫り出すこととなります。
これはある意味、時代的要請であったのもしれません。
娯楽である映画といえども、あまりに荒唐無稽であることを「リアリスト」である私たち観客が心の奥底で忌避していたのかもしれないのです。
世界は単純ではないことが、スクリーンの上でも表現される時代がやって来ていたのでしょう。
時代の変遷に呼応するシリーズ内容の変容を考えるとき、私は「仮面ライダーシリーズ」を直ちに思い出します。平成ライダーシリーズと位置付けられるシリーズの出発点として、2000年に「仮面ライダークウガ」が放映されました。これまでのような無条件の勧善懲悪の構造がずらされたシリーズ構成には大いに戸惑いがあったものです。子供に複雑なストーリーが理解できるのかと懸念したものですが、杞憂に終わりました。同時代性に最も敏感である子供たちは、この「変容」を圧倒的に支持したのです。2006年に公開された「カジノ・ロワイヤル」も同様な時代背景の中での達成であったと言えるでしょう(ちなみに、2006年は「仮面ライダーカブト」が放映されています)。
時間はたっぷりとある
本作において、ジェームズ・ボンドはこの世を去ります。
彼は、愛する女性と娘の目の前からいなくなります。
恋人のマドレーヌ・スワン(レア・セドゥ)との最後のやりとり中で、ジェームズは次のような言葉を口にします。
「時間はたっぷりとある」
あと数分で、爆撃を受け、絶命を覚悟しなければならない今際にあって、このように応えるのです。
それは、痩せ我慢でも、達観でも、世迷言でも決してありません。
もちろん、自分の生物学的な「生命」はここで断たれてしまうが、自分という人間は、愛するあなたと私たちの子供の中で永遠に生き続けるのだと、彼はそのように訴えて(願って)いるに違いありません。
マドレーヌ・スワンという役名は極めて興味深いです。この名前から、あなたは容易に、フランスの作家マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」を思い出すことでしょう。小説中の、マドレーヌを口にした瞬間に過去の記憶に強襲される一節はあまりに有名です。役名の決定の際には、おそらく第一編のタイトルである「スワン家の方へ」も念頭に置かれていたはずです。
ジェームズ・ボンドに還っていく
ジェームズの死に敬意を表し、MI6のメンバーはウイスキーで献杯します。
その際、彼らが哀悼を込めた呼びかけが「007」ではなく「ジェームズ」であることを見逃してはいけません。
007になることを望んだ男の物語は、最後にひとりの個人(ジェームズ・ボンド)に還っていくところで結末を迎えます。
上司であるMは弔辞として、作家のジャック・ロンドンの次の言葉を引用します。
„The proper function of man is to live, not to exist. I shall not waste my days in trying to prolong them. I shall use my time.“
「人間の本来の役割は、存在することではなく、生きることだ。日々を長引かせようとして無駄にすることはない。私は自分の時間を生きよう」
ジェームズは永遠に「生き」続けます。
ゆえに、時間はどこにも逃げません。
これから先、失われることもありません。
たっぷりとあるのです。