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「ミッドナイトスワン」母になろうとした本当の理由

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「彼女」は最後の冬、母になりたいと思った。

出典:公式サイト

2020年の秋に公開され第44回日本アカデミー賞最優秀作品賞の栄誉に輝いた本作は、主演の草彅剛氏が圧倒的な存在感を示し、最優秀主演男優賞を受賞した完成度の高い作品です。

トランスジェンダーを主題に据え、巧みな物語構成により上質なエンターテイメント性を実現し、多くの支持を集めています。

本作は2021年7月3日に、イタリア「ウディネ・ファーイースト映画祭」コンペティション部門において、現地の観客に最も支持されて選出となる「ゴールデン・マルベリー賞」を受賞しました。

以下に、内容に言及しますので、あらかじめご了承ください。

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主演の草彅剛さんはユニークな俳優です。芝居をうまくやろうと思えばどこまでも上手にこなせますし、存在感だけで押し切ることもできる、ある種器用で感性が非常に豊かな役者さんであると言えます。個人的に印象に残っているのは、TVドラマですが「スペシャリスト」と「嘘の戦争」が思い出されます。

あらすじ

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故郷の広島を離れ、新宿のニューハーフショーの風俗店で働くトランスジェンダーの凪沙(草彅剛)は、育児放棄にあっている親戚の娘である中学生の一果(服部樹咲)を金目当てのために一時的に引き取ることになる。奇妙な同居生活を続けるうちに、やがて二人の間に少しづつ心を通わす瞬間が増えてくる。バレリーナの豊かな才能を持つ一果の夢を叶えたいと願う凪沙は彼女のためにできるだけのことをしようと強く決心する。

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物語が成立するための必然性により一果役にはバレエの技量が不可欠です。と同時に演技力も要求されます。キャスティングの困難に新人の服部樹咲さんは見事に応えました。本作は、役者の誕生の記録という意味においても貴重なフィルム的成功をおさめた作品であると言い得るのです。

母親を求め続けたひと

出典:公式サイト

本作において、母親を求め続けた人物が3人います。

凪沙、一果、一果の友人である桑田りんです。

一果は、現在の不幸の元凶である母親を憎み切って縁を断つことができません。

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その程度には「大人」だからです。

母親を求め続けることの「虚しさ」と「微かな望み」の間にどうにか立っているのでしょう。

裕福な家庭に育つりんは自分の家が既に壊れていることをクールに理解し、母親にもはや何も期待していません。

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一果のコンクールでの舞いとの比較において、りんのダンスが描かれているシーンはいくつもの映画的解釈を可能とする印象深い場面であると言えます。彼女はビルから飛び降りたのか、それともただの幻想なのかは、映画は結末を語ろうとはしません。ほぼ同時刻に、いるはずのない人物(りん)が客席に座っているショットを認めるにつけ、彼女はこの世にはいないという結論が濃厚でしょう。しかしながら、大怪我をしたとしても一命を取りとめたようになぜだか思えるのです。

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りんにとってバレエ教室の先生である片平実花(真飛聖)はある種の代理母であったはずです。足の怪我のためにバレリーナへの道を断念したとき、彼女の前から「母」は消失してしまいます。

彼女は本当の母親を求め続けたという過去を持つだけです。

この意味で、凪沙も同類であると言えます。

自分の存在論的な苦悩を理解してくれる母親を凪沙は決して持てませんでした。

時代的、地域的、世代的限界を実母(家族の中の「同性」)は超えることができないのです。

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おそらく、打ち明ける機会を作る勇気が凪沙にはなかったのでしょう(ゆえに故郷を後にします)。

パドー

実際、一果を取り戻しに行った実家での母親の無理解と拒絶は予想を遥かに超えたものでした。

一果のために昼の仕事につこうとする化粧気もなく短い髪になった凪沙の口から「あなたのために」という言葉を聞いた一果が無条件に「頼んでない」と拒絶する様をスクリーン上に認めるとき、育児放棄の母親の泥酔した姿が凪沙に重なっていた一果の心の内を同時に観客は見てしまう。あくまで丁寧な演出に本作が支えられいることを私たちは知るのである。

母親になりたかったひと

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なぜ、凪沙は「母親」になりたかったのでしょうか。

一果の実の母親に対抗するために。

それもあるでしょう。

その一環として母性に目覚めたからというのも理由になりそうです。

「母性」の主たる意味が「保護者的使命感」と言い換えられるのならば、それはそれで見当違いではないでしょう。

でも、正確性には欠けます。

凪沙が母親になりたかったのは、おそらく自分のためであったはずです。

追い求めても手に入れることのできなかった自身の「母親」を手に入れるために。

凪沙は世の中と対峙する場合に赤色の勝負服を身に纏います。これが凪沙にとっての戦闘カラーなのでしょう。一方で何ものでもない一果は白をベースとしていますが、ラスト近くの浜辺のシーンでは、バレエのコスチュームのように白を基調にしながら足元には赤色が差しているのです。自分自身の力で世の中に出ていくその萌芽がきざしているかのようです。(同時に、冒頭のショーに出ている凪沙が赤色のシューズを履いていることを思い出すのならば、この二人が同類(対)であることがわかるはずです。)

音楽がとても印象的です。渋谷慶一郎さんが担当しています。初音ミク主演による人間不在のボーカロイド・オペラ『THE END』が有名です。

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凪沙が見たもの

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中学を卒業し、自分の人生を邪魔されない資格を得た一果は、上京し余命いくばくもない凪沙の姿を目にします。

おそらく最後の願いであろう凪沙の想いを叶えるために、二人で海に行きます。

凪沙は自身の存在的苦悩の原点であると言える子供時代のエピソードを問わず語りに口にします。

学校で海に行ったときに、自分はどうしてスクール水着ではなく、男子の海パンをはいているのだろうか。

病気のために今やほとんど目の見えない凪沙は、水着を着て波打ち際ではしゃぐ少女を幻視します。

いうまでもなく、それはあって欲しかった自分の姿であり、すなわち一果自身なのです。

そうであったかもしれないという子供時代の可能性と希望に満ちた将来が待ち受けている可能性とが、可能性という一点で重なり合います。

波打ち際の少女を見る眼差しには、一片の無理解も違和感も存在しません。

それこそが「母」の眼差しだからです。

出典:公式サイト

凪沙は、一果の「母親」になることにより、幼き日の自分自身が肯定されることを自らに証明したかったのでしょう。

決して実現できなかった母親との相互理解を、自らがその役目を負うことでかりそめにでも形にしたかったはずです

一果に砂浜で踊ることを懇願し、凪沙は断末魔のように「キレイ」を連発しながら、息を引き取ります。

視力を奪われている(真夜中)凪沙には明瞭に一果(白鳥)の未来が見えていたに違いありません。

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キレイという語とおよそ程遠い罵詈雑言を浴びせられてきた凪沙に対して、凪沙自身が母親の立場で凪沙=一果に送る最後の言葉はあまりに切ないものがあります。

最後の冬、すなわち人生の最期の時に、「母」になることを願いつつ、彼女(凪沙)はこの世を後にし、もう一人の自分(一果)に未来を託したのでしょう。

パドー

心に残る良作です。機会があればぜひご覧ください。

この浜辺の場面において一果が踊り終わった後に海の中を進んで行くシーンでは、もちろん衝動的な入水自殺願望が示唆されているわけではありません。そうではなく、生まれ変わりが表現されているのでしょう。古い自分を脱ぎ捨て新しい世界にこれから飛び出していく一果自身であり、この世に別れを告げた凪沙の魂が一果に宿り自らも幸せな時を伴走するであろうことが描かれているのです。

海辺の場面の光と色彩の加減は素晴らしいの一言です。映画「バートン・フィンク」を思い出しました。これらの映像(撮影監督の勝利)を見せつけられると、海に行きたい衝動を抑えられないものです。

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