衣食住という語の中で、食や住と毛色が違うと衣について昔から思っていた
衣食住という言葉を生まれてこの方、一度も耳にしたことがない人は稀であると思います。
子供の頃から長い間、不思議に思っていたことがありました。
衣食住という組み合わせに違和感を感じたことが今までにありませんか?
衣食住とは要するに人間にとって必要なものという意味だと思うのです。
そのようなポイントから見るならば、
食はわかります。食べないと死んでしまうから。
住もわかります。道端で暮らし続けるというわけにはいかないから。
衣の場合、
さすがに裸で生活するわけにはいかないのですが、どうしてもないとだめなのかと言われれば即答しかねるところが無きにしもあらずです。
ほかの2つの言葉とどうしてもバランスがとれていないように思えるのです。
このような違和感を出発点として、衣食住という言葉についてあらためて考えた結論について以下にお話します。
議論を進めるにあたってのキーワードは「社会性」となります。
「しのぐ」という共通項でくくれそうだ
衣食住は人間が生きるうえで最低限必要な生活条件のようなものです。
生活条件としてこれらには共通項が存在します。
それは「しのぐ」という行為のために必要であるという点です。
- 寒さをしのぐための「衣」
- 飢えをしのぐための「食」
- 雨露をしのぐための「住」
しのぐための衣について
衣服がなければ、寒さをしのげません。
同様に暑さもしのげません。
直射日光は体に非常に悪いものです。
広い意味で帽子も衣服の一部であると考えてみると、合点がいくと思います。
しのぐための食について
腹が減っては力が出ません。
生きることはある意味、ものを食べることと同義であるといえば言いすぎでしょうか。
食があふれかえる現代において、飢餓が当たり前であった時代のことを想像することは簡単ではありません。
人はパンのみに生きるにあらずと昔から言われています。
その一方で、まずは今日の「米」という思想もまた真実なのでしょう。
しのぐための住について
暖かい布団に入る瞬間、最上の喜びを噛みしめる方は少なくないでしょう。
私も例外ではありません。
家というのは、雨風を防ぐと同時に安心感やくつろぎといった精神的安寧を与えてくれます。
枕を高くして眠ることのできる場所があるというのは、なにものにも代えがたいものです。
衣は格落ちであるのか?
衣食住のうち、生き延びる、快適に過ごすという観点からみると、この3つの必要性はそれぞれに十分に理解できます。
他の2つの必要不可欠感が突出しているために、どうしても「衣」のパンチ不足感は否めないところです。
では、なぜ衣は同列であり同格であると言えるのでしょうか?
以下にご説明します。
社会性の獲得としてのファッション、それが衣
暑さや寒さをしのぐだけで用が足りるのであれば、
布をまきつけたり、必要最低限なデザインで事が足りるはずです。
なぜこれほどまでにカラフルで様々なデザインが追求されてきたのでしょうか。
産業であるから?
一面的にはそうであると思われます。
けれども産業としての側面を棚上げした場合、
ファンションにおいて重要視されるべきは、そのコミュニケーション性にあると言えるでしょう。
人間とは社会的生き物です。
社会的というのは、社会に帰属しないと一足飛びに死に近づいてしまわざるをえないという意味を指します。
単独の個体として脆弱である人間は自然界で生き延びるために、集団化する方法論を採択しました。
共同体を形成することにより、生存率を飛躍的に向上させたのです。
社会を形成して生きるわれわれは社会性の獲得が、ある意味社会へ「入国する」ためのパスポートとなります。
なにがなんでも入国するしか生き残るすべは残されていないも同然です。
そのための衣装(衣服)なのです。
お互いの社会性を確認するための「最初の一歩」がまさしく「衣装」となります。
- どのような人物なのか、どのような価値観を持っているのか。
- どのような感性を有しているのか、どの程度の社会的地位であるのか。
- どれぐらいの経済力・政治力があるのか。
衣服は如実に物語ります。
どこまでも雄弁です。
着こなしを含め、着ているものを一見すれば多くのことが了解できうるのです。
コミュニケーションとしての衣装
人が裸のままでいないのは、生理的欲求や健康面の問題ばかりではありません。
文化的羞恥や法律的要請のためばかりでもありません。
他人とコミュニケートしないと生き延びることができないからです。
衣服を身に着けることから社会性が始まります。
この意味において、衣は衣食住のなかで他の2つと同格であると言い得ます。
人が人の間で生を営むかぎり、3つのうちのひとつでも欠けることは許されないはずです。
衣のファッション性、言い換えるとコミュニケーション性を考えるとき、
人はひとりでは生き延びることができないということが強く意識されるに違いありません。
ファッション性を考えるとき、流行現象などの文化的要素よりも、人間の生存条件からもっと問われるべきなのでしょう。