ご存知ですか、食には2つの意味があります

食は一般的に「食べるものそれ自体」と「食事」を同時に意味します。
また、食事それ自体も実は2つの側面を持っています。
- 栄養を補給する行為
- 関係強化のための行為
生物である限り、生命を維持するために栄養補給は不可欠です。
補給が絶たれることは死を意味します。
一方の、関係の強化も失敗し続けるならば、死に至る可能性が増大します。
なぜなら、人間は社会的生物であり、事実上、共同体を離れ単独で生存することが極めて困難な存在であるからです。
それでは、以下に関係の強化についてお話ししていきます。
関係強化のための食事

あなたはなぜ他者と一緒に食卓を囲こむのでしょうか。
- 取引先と懇親の場を持つことで、将来的に商売を拡大したいから。
- 彼(彼女)と親睦を深め、ゆくゆくは恋人同士になりたいから。
ビジネスであろうが、プライベートであろうが、共に食事をとる目的は、関係の強化にほかなりません。
生命を維持するために人は栄養を補給する必要を避けることができません。
栄養を補給するためにひとは食物を摂取します。
食物を摂取するという大事な行為を他者と分かち合うのですから、絆は必然的に深まるのは当然でしょう。
シェアという行為はとても大事です

命を紡ぐ食物をシェアすることの重みは計り知れません。
加えて時間もともに過ごすのですからなおさらです。
命とはある意味、時間です。
食卓を囲むとは、命の源である食物と命と言っても過言ではない時間を同時にシェアすることを意味します。

食事をともにするという行為の重要性がよく理解できることと思われます。
社会性を育む食事という行為

食事という行為は単独で行う場合はただの食物摂取(栄養補給)です。
しかしながら、他人とテーブルを共にしたとたんに、それ以上の意味を強く帯び始めます。
ひとは、自然界において極めて脆弱な存在です。
ゆえに、集団を形成し、共同体を営む道を選択しました。
生き延びるための必然であったと思われます。
個同士が集団を形成する場合に、大いに役立ったのが共に食事をするという行為であったことは容易に想像できます。
我々はそのようにして共同体を成立させるために不可欠である「社会性」を身に着けていったのでしょう。
現代の孤食(個食)に抗って

やむを得ない事情により、ひとりで食事をすることが現代社会ではごく自然なこととなっています。
自宅だろうがお店だろうが珍しくない風景です。
ひとり鍋しかり、ひとり焼き肉しかり。
ひとりで食事をすることの味気なさは経験上、多くの人が認めるところです。
食事とは本来、楽しいものであり、温かさに満ちているものであるはず。
ゆえに、
ひとりで食べる機会に慣れないようにしなければなりません。

寂しすぎます。

あなたの今日の夕飯は関係の強化のためですよね?
