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B’zとエレカシ、愛と憎しみの世紀末の音楽を聞き逃すな

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世紀末の気分

中高年世代にはなじみ深い「ノストラダムスの大予言」は1973年に発刊されました。

これは1999年に人類が滅亡するとの予言を解説した当時のベストセラー書です。

あの頃は遠い将来に、そのような破滅が待ち受けていることを半ば冗談に、半ば本気にとらえていたはずの若者が大半でした。

大人になって、いよいよその時が来てしまうと、当時のソワソワした、ざわざわした気分が蘇ったものです。

世紀末。

この世は終わるのであろうか、終わってほしいのであろうか、というムードの中、当然のごとく、何事もなく、2000年はやってきました。

内乱の予感のようなドキドキ感と、やはり何も起こらなかったんだという安寧とが世の中に渦巻きます。

 そのような時代の雰囲気を鮮やかに切り取った才能が、当時、二人だけいました。

稲葉浩志と宮本浩次

B’zとエレカシだけが、時代に見事にシンクロした瞬間です。

世紀末の風景

「世紀末」と人が口にする時、

少なくとも当時の日本人がイメージしたのは「マッドマックス」や「北斗の拳」や「AKIRA」の醸し出す世界観とそれほど遠くないところにあったはずです。

秩序なき、力だけの世界。

しかしながら、

そのようなカルチャーが想起させるイメージと現実のギャップは相当なものでした。

そのギャップは、

絶望を希求しながら決して絶望感に突き落とされない者だけが知ることのできる落差であったのでしょう。

ガストロンジャーとさまよえる蒼い弾丸

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その落差を宮本は鮮やかに切り取ります。

嗚呼そして我々が受け継いだのは豊かさとどっちらけだ。

ガストロンジャー」と呼ばれる曲の一節です。

題名に意味はないらしいとのこと。

ご本人がそう言っているのだから、間違いありません。

この曲を初めて聞いたのは、忘れもしないTVの歌番組である「HEY!HEY!HEY!」での演奏でした。

お茶の間に衝撃が走りました。

こんな突き抜けた曲があるのかと、腰が抜けました。

この曲は、歌詞にクレームがつき、TVやラジオで放映・放送するのに苦労する楽曲であったようです。

1999年12月にリリースされています。

一方、稲葉は次のようにシャウトします。

誰かが残していった退屈あくびがでちゃう(ゴロゴロしちゃう)平和というのはそんなもんだろうか そんなのアリですか?

CMとのタイアップであったこの曲は1998年4月にリリースされています。

アルバムを待たずにシングルを購買させるほどのインパクトがありました。

今でもよく聞く大好きな曲です。

総中流という名のノスタルジア

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お判りのように、ここには今では想像できない「一億総中流意識」が恥ずかしげもなく顔を出しています。

そう、これが、当時のわれわれの根っこの部分であったのです。

そこそこ経済的に恵まれているが、なんだか突き抜け感が足りないんだよね。

シラケとも閉塞感とも違う、この引き伸ばされた中途半端感。

格差社会が浸透した今日から見れば、天下泰平にもほどがあるでしょうか。

自分たちは先行する人々の努力の上で豊かさを享受している。 貯蓄が底をつくのは時間の問題であるはず。 でも、動かない。動けない。 なんか面白いことないかなあ。刺激もなく、面白みにかけるので、時間を持て余すんだよね、ダヨネー。 時間だけはあるんだよね。だって新世紀、もうじき始まるっしょ。

極楽とんぼたち(我々自身)が徒党を組んで、昼になく夜になく、飛行していた平穏な日々。

今から思えば、幸せな時代でした。

アカルイ絶望

この絶対安全地帯からの絶望の希求こそが当時の日本人の世紀末感であったことは疑いようがありません。

優れた2つの感性は、見逃すことなく的確に時代の空気をすくい上げました。

しかも、とびきりのビートとグルーヴ感のもとで。

次の世紀末においても、このようなアカルイ絶望は商品化されるのでしょうか。

胸をはってさ そう。

もっともっともっともっと速く。

気づいているはずです。

我々はたかだか二十年に満たないうちに、本当に遠くまで来てしまった。

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✒︎ writer (書き手)

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本サイト「シンキング・パドー」の管理人、人事屋パドーです。
非常に感銘を受けた・印象鮮烈・これは敵わないという作品製品についてのコメントが大半となります。感覚や感情を可能な限り分析・説明的に文字に変換することを目指しています。
書くという行為それ自体が私にとっての「考える」であり、その過程において新たな「発見」があればいいなと毎度願っております。

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