鮮烈なイラストレーションで彩るアートブック第四弾が発売されていた
村上春樹氏の短編を素敵なイラストレーションでより魅力的に仕上げた一冊が2017年の秋に上梓されていました。

私はつい最近知ったので、昨日注文し、今日読み終えました。
読書時間は15分もかかりません。早い人なら10分程度でしょうか。
まさにショートストーリーです。
「あなた自身が答えを見つける物語」とあるように、この小説は肝心の部分が意図的に書かれていません。
読者が想像の羽を広げるしかない文学の楽しみに満ちあふれた作りになっています。

自分なりの「答え」は次のとおりになります。
彼女の願いとは、
人生のどの瞬間においても「願うことはなにひとつない」と言い切れる人生を送りたい
以下、内容に言及しますのであらかじめご了承ください。
素敵なイラストレーション
イラストはドイツの女性イラストレーターであるカット・メンシックさんが担当しています。
1968年東ドイツ生まれ。ベルリン芸術大学・パリ国立美術大で学んだ才媛です。


独特のテイストなイラストレーションは素敵の一言。
アートブックシリーズ
現在、この「バースデイ・ガール」を含めて4作品が出版されています。
すべてのイラストレーションをカット・メンシックさんが手がけています。
いずれも過去に発表された作品となります。
作品によって違いがあり、全面改訂もあれば、部分修正に留めたものもあります。

「著者あとがき」は当然に初出となりますので、村上ファンとしてはそれを読むのが楽しみという人も多いはずです。
- ねむり
- パン屋を襲う
- 図書館奇譚
- バースデイ・ガール
バースデイ・ガールという作品の誕生秘話
初出は2002年の冬に出版された翻訳アンソロジー「バースデイ・ストーリーズ」に収録されていた作品です。
誕生日にまつわる話のアンソロジーを編もうとセレクトされましたが、一冊にするには少しばかり量が足らないために、オリジナル短編を村上が書き下ろし、加えたようです。
バースデイ・ガールのあらすじ
二十歳の誕生日に非番であったアルバイトの女性が、同僚と交代するはめになり、レストランでのウエイトレスの仕事につきます。
何事もなく、たんたんと終わるはずだったその日、レストランのオーナーの部屋に食事を運ぶことになり、彼女は不思議な体験をします。
オーナーである老人は願い事をひとつだけかなえてくれるというのです。
彼女のリクエストとは何だったのでしょうか?
これがこの物語のテーマとなります。
中学校の教科書にも採用された実績があるということなので、生徒に考えさせる授業風景が目に浮かんできます。
彼女の願いごとをざっくりと考えてみる

生徒になったつもりで考えてみました。
彼女が願いを口にしたあとに、オーナーは次のように言います。
「君のような年頃の女の子にしては、一風変わった願いのように思える」と老人は言った。「実を言えば私は、もっと違ったタイプの願いごとを予想していたんだけどね」
どうやら「もっと美人になりたい」「賢くなりたい」「金持ちになりたい」といった普通の女の子が願うような世俗的リクエストではないようです。
彼女は言います。
「もちろん美人になりたいし、賢くもなりたいし、お金持ちにもなりたいと思います。でもそういうことって、もし実際にかなえられてしまって、その結果自分がどんなふうになっていくのか、私には想像できないんです。かえってもてあましちゃうことになるかもしれません。私には人生というものがまだうまくつかめていないんです。ほんとに。その仕組みがよくわからないんです」
この発言からわかることは次の2つです。
- 短期的・刹那的な願望ではなく、人生の長い期間が視野に収められている
- かなってしまって分不相応な持て余してしまうような達成は必要ない
次に、それから十数年の後に、彼女と知り合いの男性が当時の事について話題にする場面に目を向けてみましょう。
会話の流れから、好奇心を抑え気味の彼は願いごとの顛末について次の2つの質問をします。
質問その1
願いごとは実際にかなったのか?
彼女は答えます。
「最初の質問に対する答えはイエスであり、ノオね。まだ人生は先が長そうだし、私はものごとの成りゆきを最後まで見届けたわけじゃないから」
「そこでは時間が重要な役割を果たすことになる」
この答えから、彼女の願いごとは時間的に一定程度の長さが必要であることが理解できるはずです。
質問その2
その願いごとを選んだことをあとになって後悔しなかったのか?
「私は今、三歳年上の公認会計士と結婚していて、子供が二人いる」と彼女は言う。「男の子と女の子。アイリッシュ・セッターが一匹。アウディに乗って、週に二回女ともだちとテニスをしている。それが今の私の人生」
家族を持ち、趣味を楽しむ時間も相手もいて、経済的自由をある程度手に入れている悪くない人生が語られています。
「人間というのは、何を望んだところで、どこまでいったところで、自分以外にはなれないものなのねっていうこと。ただそれだけ」
この考え方自体は、彼女が二十歳のときに老人に説明した人生観と全く変わってはいません。
あれ以来十数年たった今も首尾一貫しています。
以上のことから、繰り返しになりますが、彼女の願いごとの輪郭はどうやら先程の指摘で間違いないと考えます。
- 短期的・刹那的な願望ではなく、人生の長い期間が視野に収められている
- かなってしまって分不相応な持て余してしまうような達成は必要ない
「何ひとつない」という言葉の意味
ここから更に踏み込んでいくにあたって、彼女と知り合いの男性のやりとりは大きなヒントになります。
彼女は彼に「自分ならどう答えたのか」と仮定の質問をします。
僕はけっこう時間をかけて考えてみる。でも願いごとなんて何ひとつ思いつけない。
「何も思いつかないよ」と僕は正直に言う。「それに僕は、二十歳の誕生日から遠く離れすぎている」
「ほんとに何も?」
僕は肯く。
「何ひとつ?」
「何ひとつ」と僕は言う。
彼女はもう一度僕の目を見る。それはとてもまっすぐな率直な視線だ。
「あなたはきっともう願ってしまったのよ」と彼女は言う。
一見すると、どこがどう願っているのかと突っ込みたくなるくだりです。
しかしながら、
「何ひとつ願うものはない」という言葉それ自体が「願い」であることに気づけば、彼が願いごとを口にしていたことが直ちにわかるでしょう。
つまり、
願いごとはありますとか、と問われたときに、「何ひとつないという状態に自分はそうありたいという願い」だったのです。
これが彼女の願いごとを考える上での大きなヒントとなるのは、次の一文が決め手となっているからに他なりません。
彼女はもう一度僕の目を見る。それはとてもまっすぐな率直な視線だ。
彼女の願いがそのものズバリ、他人の口から発せられたために、驚きのあまり、「とてもまっすぐな率直な視線」になっていることがここでは端的に表されているのです。

思い出してください。
- 短期的・刹那的な願望ではなく、人生の長い期間が視野に収められている
- かなってしまって分不相応な持て余してしまうような達成は必要ない
彼女の願いにとって「時間」はとても重要なファクターでありました。
言い換えると、人生の途上では容易に判断ができないということを意味するのです。
おそらく、彼女の願いはこうであったと想像できます。
人生のどの瞬間においても「願うことはなにひとつない」と言い切れる人生を送りたい
願うことはなにひとつないと口にできるためには、自分以上でも自分以下でもない自分が「いまここ」にある状態でなければならないのです。
これは違う言葉で言えば、彼女自身が口にした「自分は自分以外のものにはなれない」ということに他なりません。
「人間というのは、何を望んだところで、どこまでいったところで、自分以外にはなれないものなのねっていうこと。ただそれだけ」
ここまでくると、彼女はその当時達観していたわけではなく、全面的な自己肯定を控えめに宣言していたことが理解できるはずです。
村上の作品は表面上は極めてシニカルで、あまり幸福でないテイストに味付けされていながら、その内実は極めて真っ当で肯定的な人生観に支配されている傾向があります。
本短編もその系統のひとつに数えられる作品だと言えます。
このような健全性が彼の作品に多くの読者が魅了されてしまうことの一因であるのでしょう。
読後感は不可思議にちょっぴりの清涼感が混ざっています。

よろしければ、ぜひ手にとって読まれてみてはいかがでしょうか。

