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「透明な螺旋」人は誰もひとりでは生きられない

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記念すべきシリーズ第10弾は慈愛がにじむ物語であった

ベストセラー作家である東野圭吾氏の人気シリーズ「ガリレオ」の第10作目となる本作「透明な螺旋」は、本年9月10日に出版されました。

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多くのファンが待ち望んだ新作に対する評価は、現在のところ概ね次の3つに分かれていると言えます。

  • シリーズに期待している、科学的トリックを鮮やかに見破る物理学者の活躍がなく、ガッカリだ。
  • 小説として面白かったが、主人公はガリレオ=湯川学以外でもいいのでは。
  • 人間の悲しさや人生の奥深さが静謐な筆致で綴られている良作である。
パドー

私の感想は、この3つが適度にブレンドされている類のものですが、良作であることは間違いないと言い切れます。

以下に本作について、考えたことを少しばかり書きます。

内容に言及しますので、未読の方はご注意願います。あらかじめご了承ください。

あらすじ

本の帯の文句からの引用となります。

房総沖で男性の遺体が見つかった。失踪した恋人の行方をたどると、関係者として天才物理学者の名が。草彅は、横須賀の両親のもとに滞在する湯川学を訪ねる。

「ガリレオの愛と哀しみ」と同時に謳われていますが、多分に広告宣伝要素が強い文句であり、湯川自身の「哀しみ」は前面には出てきません。

また「シリーズ最大の秘密が明かされる」というメッセージも、無闇に読者の期待値を上げることとなっており、物理的トリックへの過度の期待を惹起させたことに繋がったのかなと思われます。

透明な螺旋の意味

タイトルである「透明な螺旋」には、次の3つの意味が込められていると想像します。

  1. 血のつながらない者同士の擬似的血縁関係の例え
  2. 殺人に使用された銃の象徴
  3. 人生それ自体

血のつながらない者同士の擬似的血縁関係の例え

銀座のクラブ「VOUM」経営者兼ママの根岸秀美は、自分が捨てた子の娘(秀美からすれば孫に当たる関係)であると信じたい花屋に勤務にしている島内園香のために人を殺めます。

おそらく人違いであると気づいているにも関わらず、血のつながりがあると信じたい秀美は、同棲相手の上辻から園香がDVを受けていることを知り、彼女が疫病神と縁を切るための最終手段として殺人を選択します。

血の繋がりは、DNA鑑定により科学的に証明されるものですが、そのDNAが二重螺旋構造を持つことはよく知られています。

その螺旋が透明であるとは、そこには血縁関係が成立していないことが表現されているはずです。

これは、ブックカバーの装丁から簡単に類推できることでしょう。

加えて、表紙には赤い薔薇も描かれています。

赤い薔薇の花言葉は、ご存知のように「愛情」です。

赤の他人である園香のために、人生を犠牲にした秀美の「愛情」が明示されていると言えるでしょう。

秀美の殺人の動機は、園香の身の危険を案じてのことなのですが、同時に、このまま同棲を続ければ、早晩妊娠し、無責任な上辻から捨てられるという、自分と同じ苦労を背負いこむこの先の事態を一刻も早く避けねばという「強い思い(思い込み)」からだと考えます。

殺人に使用された銃の象徴

秀美は巧みに上辻を人気のない場所に呼び出し、背後から、かつて交際していた相手から預かった密造銃で「孫」を苦しめる男を撃ちます。

撃たれた反動で上辻は崖下の海に転落します。

拳銃の内側に施された螺旋状の溝は「ライフリング」と呼ばれ、これにより弾丸は旋回運動を与えられ、直進性が高められます。

「透明な螺旋」とは、凶器である銃の象徴であり、上辻が突然消えたことの理由(真実)が決して園香には知られたくない思いが込められているのでしょう。

人生それ自体

人生は、坂を登ることや下ることに喩えられるように、出発点から到達点(ゴール)までは長い道のりであり、物理的距離が相当にあるものと一般的に認識されています。

この小説では、人生はどこにも行けない、同じところをぐるぐると回っているものだという一つの思想が示されています。

そのことが「透明な螺旋」という言葉に込められていると考えます。

螺旋からは、容易に螺旋階段が想像できますが、螺旋階段は上下の移動を実現するものであり、横軸的な移動を約束してはいません。

多くの人々は、人生の成功や失敗を上昇や下降により実感しますが、総括的に俯瞰して見るのならば、同じところをぐるぐると回っている運動の軌跡に他ならないと言えます。

そこにどのような意味を見出すのかは、各人の人生観の数だけあることでしょう。

よんどころの無い事情から子供を捨てた女は、人生の終盤を迎え、赤の他人のために自らの手を血で染めます。

それは、ある意味、自分の過去に対する罪滅ぼしであるのかもしれません。

因果応報的な彼女の人生は同じ処を性懲りもなく廻っているだけと云えば、言い過ぎでしょうか。

これからのガリレオ

「松永奈江は」ふっと吐息を漏らしてから湯川は続けた。「僕の実の母親だ」

本作はもしかすると、次回作へのプレリュードではないのかという気がします。

湯川は養子であり、今回、実の母親の松永奈江が登場しました。

彼の出生の事情から、実の父親は湯川の誕生を知らないはずです。

湯川に先行してアメリカに渡った研究者(実父)と次回作で邂逅(対決)するのではないのかという予想(期待)があります。

湯川のアメリカ留学時代が舞台なのかどうかはわかりませんが、異なる立場で正面から対峙する予感があります。

その意味で、本作は布石的な作品であり、今後のシリーズ展開における「大いなる繋ぎ」であるのかもしれないのです。

松永奈江と湯川を結びつけた湯川の著作である『もしもモノポールと出会えたなら』のモノポールとはおそらく湯川の実の父親のことを指すのでしょう。モノポール(磁気単極子)とは、N極のみ、もしくはS極のみを持つ素粒子を指しますが、現在までその存在は発見されていません。磁石は必ずN極とS極という2つの磁極を持ちます(両親という関係と男女という関係の比喩として理解できる)。絶対に出会うことのできない父親に対する諦めと、もしかしたらという期待が題名に込められているかのようです。

東野 圭吾
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✒︎ writer (書き手)

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本サイト「シンキング・パドー」の管理人、人事屋パドーです。
非常に感銘を受けた・印象鮮烈・これは敵わないという作品製品についてのコメントが大半となります。感覚や感情を可能な限り分析・説明的に文字に変換することを目指しています。
書くという行為それ自体が私にとっての「考える」であり、その過程において新たな「発見」があればいいなと毎度願っております。

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