監督小津安二郎が意図したものを想像してみる
戦後間もない1949年に公開された「晩春」は、その後の「麦秋(1951年)」「東京物語(1953年)」と共に女優原節子演じる主人公の紀子にちなみ「紀子三部作」と称されたうちの第一作の位置を占め、映画監督小津安二郎の全盛期を代表する作品となります。
世界の映画監督たちが今なお称賛を惜しまない小津作品は、日本独自の感性の豊かさがその魅力であるばかりでなく、国や時代を超えた普遍的な家族(人間)愛が観る者に強く働きかける映画的記憶であるに違いありません。
小津作品の特徴として、人物が映っていない(あるいは風景の一部と化す)風景や事物のショットの挿入が挙げられます。
時として、これから始まる舞台を明示するための「道先案内」の役目を果たし、あるときは、いわゆる「暗転」と同じような役割のために挿入されていたりもします。
物語進行の上で、程良いアクセントを刻み、リズムを整える効果が発揮されていると言えるでしょう。
そのような数多くの一連のショットの中で、小津ファンや研究者・評論家の間で議論され続けている、ある有名なショットが本作には登場します。
壺のショットです。
正確に言うと、壺をクローズアップしたショット(2回)となります。
もはや故人である小津の口から真相を聞き出すことはもちろんできないわけですが、以下に私的な解釈を説明します。なお、内容に言及しますのであらかじめご了承ください。
ストーリー
大学教授である曽宮周吉(笠智衆)は早くに妻に先立たれ、娘の紀子(原節子)と二人で鎌倉に住んでいる。紀子は戦前から体を悪くし、療養を続けていたが戦後快方に向かい、今ではすっかり元気な体となったが、既に27歳となり婚期を逃しつつあった。周吉の実の妹である世話好きのまさ(杉村春子)は紀子の将来を心配し、何とか縁談をまとめようと奔走する。父親との現在の親密な関係が続くことを望む紀子とどうしても嫁がせたい周吉との互いの思惑がぶつかり合いながら、やがて紀子は結婚の決心に至る。娘が嫁いで行った後、言いようのない寂しさが周吉を襲う。
杉村春子と笠智衆のやりとりには上質なユーモアが溢れています。神社の境内で「がま口(財布)」を拾い、見回りの巡査を認めるや否や駆け足で階段を駆け上がる遠景の杉村は絶品です。また、紀子のお見合い相手の名前が熊太郎であることから、どう呼べばいいのかの心配を周吉を前に口にし、ああでもないこうでもないとひとりでまくし立てた果てに「くーちゃん」に決めようと杉村が結論を出すシーンは何度見ても笑いを禁じ得ません。
問題のシーン
壺のショットが挿入される旅先でのシーンは多くの解釈を可能とする「問題のシーン」として有名です。
結婚を決め、その記念に周吉の友人の小野寺が住む京都に父と娘の二人で旅行に出かけます。
小野寺夫妻、その娘と一緒に神社(仏閣)をめぐり、宿泊先に戻った後、就寝の時間を迎えます。
寝床に着きながら、紀子と周吉がポツリポツリと言葉を交互に交わしますが、やがて旅の疲れからか父親は寝息を立て始め眠ってしまいます。
フィルムは時系列的に次のように展開します。
宿泊先の旅館で、二人が布団を並べて床に就くシーンに対して、性的イメージが隠しきれずに喚起されているという解釈が一部にあります。
近親相姦的見地からの読解を試みるアプローチのようです。
豊穣さを内包する傑作は、多義的な解釈を誘発してしまうものなのでしょう。
あらためて本作を見直しましたが、そのような受け止め方の余地は少しもないとの感想を強くしただけでした。
紀子が頑なに結婚を拒否し、父親の再婚話に極度の嫌悪感を示すことから、紀子が周吉に対して親子の情以上の感情を抱いているとの前提に立ち、非日常的な旅先において、性的結合が隠しきれないとの解釈を成立させようとする評論の試みは、やはり演出意図とは遠く離れていると言わざるを得ないというのが私的結論(感想)となります。
女の情念が親子の愛情を凌駕するというディレクションはやはり施されてはいないのです。
ましてやその連関として「壺」を性的なシンボルと解釈する見立ては、アクロバティックが過ぎるでしょう。
旅行先での父と娘の会話が、父親の老いが期せずして露呈してしまうことで不成立に至ってしまう、そのような事態が演出上の狙いであっと推察します。
会話の最中に相手が睡魔に負けて先に寝てしまうという、もしかすると誰もが一度は経験したことがあるかもしれない、親しい者の間(家族間・友人間)に起きるやりとりの表現が目指されたのでしょう。
並べられた布団や浴衣、寝床に性的イメージを過度に認めてしまうのは、解釈する側の心象の投影に過ぎないだけの話であるはずです。
不在であり、不可視である第三項
本作は、人間の「対関係」、ここでは父と娘の二項関係がクローズアップされています。
同時に結婚が主題化されているが故に、当然に夫婦という対関係も無視することはできません。
であるならば、表立っては現れてはいませんが、
周吉と紀子の関係において、その関係性を成立させる存在(項)を無視するわけにはいかないはずです。
死んだ母親(妻)です。
全編を通じて、その人となりがほとんど言及されない、今は生きていない母親(妻)の存在が浮かび上がります。
その存在は生きている二人にとって決定的な作用を及ぼしているのです。
そもそも、母親(妻)が亡くなっていなければ、周吉と紀子という二項はこれほどまでに強固で親密な関係性を構築できなかったと言えます。
死んでも尚ではなく、不在であるがゆえにこの第三項は残りの二項関係に厳然とした影響力を発揮し続けているのでしょう。
つまり、二項関係への影響度はある意味、不変(普遍)なのです。
「不可視である第三項」は本作において別の形で「反復」されています。紀子の「夫」その人です。結婚相手はついぞフィルム上にその姿を形作りません。このことからも本作品はあくまで「二項対立」が主題であるのでしょう。
壺とは何か
壺とは、周吉と紀子という対関係に緊張を強いる第三項に他なりません。
周吉がいつの間にか眠ってしまい、しょうがないお父さんと言わんばかりに口元に笑みを浮かべながら天井を見つめる紀子が感じた幸せの隙間に素早く忍び込むのは「亡き母」に違いないのです。
「父親の面倒をみる娘の立場」と「夫の世話を焼く妻の立場」の境が見えなくなっていた紀子は、結婚を控えたこの時期に、「父親への恩返し」と「老いていく肉親への憐憫」が混ざり合う大きな渦に巻き込まれ、溺れかけています。
加えて、新しい世界に飛び込むことに臆病であり過ぎる「今時の娘にしたら旧式」の性格が拍車をかけるのです。
同情と愛情と義務が一度機に彼女を包囲します。
日頃から自らの妻的境遇に少なくない充実感を感じる紀子が仮想ライバルと見なす父親の再婚相手(実際は勘違い)のことを強く想起するあまり、期せずして妻的観点から「本当の妻」であった自分の母親の存在が前景化したことでしょう。
不在の第三項が彼女を強襲します。
その不定形な感情の中で、死んだ母親の観念にひと突きされ、一層の複雑さに飲み込まれていきます。
このまま父親と共に老いを迎えた「先」に待っているものは、孤独であり、死であり、無であるというイメージに身体中を占拠されてしまうのです。
眠りについた(これはある意味、先に逝ってしまった)周吉の傍らで、ひとり孤独と向き合う紀子の心情(境遇)を効果的に表現するためには、説話上の「アクセント」が必要となります。
彼女を取り巻き、彼女の中に流れる「時間」は明らかに、あからさまに不連続であるのです。
どこにも漂着できない紀子の気持ちをそうさせているものが、彼女自身であると同時に紀子と周吉の関係を陰で司っている不在(不可視)の第三項(死んだ母親(妻))であることを観る者に明らかにするために、壺の形を借りて表象されているに違いありません。
人生の深淵に触れた時、紀子の顔から笑みが消え去るのは必然となります。
人と物と事が絶対零度のレベルで同質化していく様がここでは描かれています。
ゆえに二度目に現れる壺は明らかに「死の匂い」をあたりかまわず撒き散らしているのです。
生の終着としての死を。
二項関係(生)を支えるものとしての、同時に侵食するものとしての、第三項(死)を。
我々の生は、いつ何時も死を孕んでいないときはないのだと、小津は語りかけているかのようです。
寄せては返す生命の連なり
個体にとっては、死は存在の消滅を意味します。
しかしながら、より巨視的に見るのならば違う「顔」を見せます。
世代という連鎖で見るのならば、死と生を繰り返しながら、人間(社会)は紡がれていくのです。
死は終わりではなく、始まりであるのでしょう。
ラストに描かれている波のシーンを思い出してください。
それは、いつ果てることもなく、寄せては返し、返しては寄せていたはずです。
本作の主題のひとつは「時間」です。特に循環する時間となります。時間を正面から取り上げる作品を数多く発表しているがゆえに、おそらく小津はことさらにフランスにおいて評価が高いのでしょう。ベルグソンを代表とする「時間」を哲学するお国柄からでしょうか。フランス文学を専攻する映画評論家の蓮實重彦氏がこの監督に特別の興味を抱いているのも頷けるところです。
追記(2022/1/26)
以上の通り、壺が何を表しているのかについての私的結論を述べましたが、母親(妻)を想起させる契機が壺という物体でなければならない理由(その強き結びつき)についての明確な答えをここでは全く提示してはいません。
実のところ、説明したくても説明できないのです。
なぜなら、壺でなければならない必然性はどこにもないからです。
目に見えないものに紀子が強襲されたことを観客の目にも明らかにわかるようにとの演出意図から、壺の一連のショットが導入されたのだという考えが私の仮説となります。
従って、壺でなくてもいいはずです。
なぜ壺であったのかは、仮にそうしたければ想像するしか他ありません。
安直な推測ですが、旅館の一室の中にある「物」であれば何でもよかったのだと思います。
不自然ではなく、けれども違和を感じさせるものであれば、それで用が足りたのでしょう。
ただ、小津の芸術的指向性(嗜好性)が美術品としての「壺」を選びとったのだろうと推測します。
ゆえに、壺の形状や壺にまとわりつく重層的な意味から出発する(起点とする)、壺は何を表しているのかという「問い」は根拠なき妄想の荒野に必然的にたどり着くと言わざるをえません。
あなたが見据えなければならないのは、
壺が何を象徴しているのかではなく、物(壺)を通して小津が顕在化させたかった「もの(存在性)」の方であるに違いないのです。