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「グリーンブック」私は一体何なんだと人種の坩堝の中で叫ぶ

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第91回アカデミー賞の三部門(作品賞・脚本賞・助演男優賞)を受賞した本作は紛れもない傑作です。

実話に基づいており、1962年のサウスアメリカが舞台となります。

運転手兼用心棒のイタリア系白人であるトニー・リップと天才黒人ピアニストのドクター・シャーリーの二人の物語です。

シャーリーのコンサートツアーを主軸にした一種のロードムービーと言えます。

タイトルのグリーンブックとは「黒人用旅行ガイドブック」のことを指します。

グリーンブック とは、1936年から1966年までヴィクター・H・グリーンにより毎年出版された黒人が利用可能な施設を記した旅行ガイドブック。ジム・クロウ法の適用が郡や州によって異なる南部で特に重宝された。(出典:「グリーンブック」公式サイト)

途中だれることもなく、130分間はスルスルと過ぎていき、ラストも非常に後味が良く、観終わって温かい気持ちになる映画です。

パドー

したがって、全力で押せます。

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以下、内容に言及しますので、あらかじめご了承ください。

人種差別の時代

当時のディープサウスの人々の意識は過去の慣習(歴史的経緯)から自由ではありません。

したがって、

黒人というだけで、レストランの席は用意されず、トイレも別、控室は物置となる始末です。

シャーリーはコンサートのメインプレイヤーとして敬意を持って出迎えられながらも、その扱いはどこまでも差別的対応が徹底されます。

いわゆるダブルスタンダード的な曖昧性はここにはありません。

ごく自然の振る舞いとしてなされるがゆえに、悪意の悪意性は非常に露悪的に顕在化されます。

黒人に対する偏見を持っていた白人のトニーも、旅の過程におけるこのあからさまな悪意に辟易し、怒りが収まりません。

これは、純粋な正義感(道徳的平等観)から来るものではなく、友人に対する侮辱的態度への反発に近いと思われます。

差別ではなく格差の露呈

本作のモチーフはあくまで、人種差別となります。

しかしながら、

この映画のテーマは「孤独性(孤立感)」です。

旅の途中で、オーバーヒートを起こし、路肩に車を止め、トニーが修理しているシーンを思い出してください。

道路の向こう側では、多くの黒人が畑を耕しています。

シャーリーを認めると、手を止めてこちらを一斉に凝視します。

このシーンは、実際に起きていることなのか、それともシャーリーの夢想なのかの判別がつかない演出となっています。

トニーは修理に一生懸命になっているが故に、彼らに気づかないのだと言われればそれまでですが、何度も彼らの方に視線を向けながらも不自然なくらいに無表情を維持し、言葉を発しません。

ゆえに、

このシーンはシャーリーの心象風景の現実への投影と見なすのが妥当であると思われます。

つまり、

経済的格差から生まれざるを得ない「孤独」を感じ続けている様が露呈するのです。

白人からの具体的な人種差別は屈辱であり、苦痛であることには違いないのですが、畑に鍬を入れる彼らの無言の視線はそれ以上に彼を追い詰めます。

「お前は俺たちとは違う」という白人たちから投げつけられてきた視線を肌の色を同じくした者たちからも容赦なく浴び続けるのです。

どこにも立てない

シャーリーは孤独感ゆえか、夜の町に繰り出し同性愛の容疑をかけられ留置されてしまいます。

迎えに行ったトニーが目撃するのは全裸に近いシャーリーと若い白人の男の哀れな姿です。

権力者の威光を借りて、釈放に持ち込んだシャーリーは自己嫌悪に苛まれ、帰りの車中にて次のように声を荒げます。

「白人でもなく、黒人でもなく、まともな男でもない。私は一体何なんだ!」

この台詞は、「まともな人間ではない」という意味にももちろん取れますが、先の同性愛の容疑のシーンを念頭に置くならば、「まともな男でもない」という意味が強いと思われます。時代背景的に同性愛が市民権を得ていないであろうことも理由の一つとなります。

  • 才能があり、金も地位もあるにもかかわらず、黒人というだけで白人グループには入れません。
  • 黒人という人種的背景を持ってしても黒人グループへは経済的格差により帰属が叶わないのです。

どちらの集団からも「黒人のくせに」という侮蔑と怨嗟を浴び、それらが彼を縛り続けるのです。

シャーリーはどこにも立てません。

あえて言うのならば、

人種差別と経済的区別(格差)が交わる切っ先にかろうじて直立しているのです。

自分の人生に正直に生きようと努力すればするほど、その人生は生きにくさを増すのでしょう。

「グリーンブック」に抗って

トラブルを回避するための規則に従えば、トラブルを回避する確率は高まります。

そのために人は「グリーンブック」を利用します。

しかしながら、

規則に従っても、人生が豊かにならないのであれば、人は自分自身の「規範」に向かいます。

シャーリーは、ある意味白人社会という「規則」の忠実なしもべと言えます。

白人社会の壁を感じながらどこまでも白人的な振る舞いをなぞることをやめないのです。

例えば、

雇い主である彼は、パンクの修理を手伝わないばかりか、車中から一歩も出ようとはしません。

なぜななら、彼は資本主義の「規則」に従う「雇い主」に他ならないからです。

その彼が物語の最後に「規則」の外に出ます。

トニーがクリスマスの家族親類のパーティーに間に合うように、眠ってしまった彼を後部座席に寝かせたまま、ひたすらニューヨークを目指してハンドルを握り続けたのです。

シャーリーは自らの「規範」に目覚めたに違いありません。

「独りは嫌だ」という心の声に従ったのです。

「グリーンブック」が黒人一般に向けられたガイドブックであることを思い出してください。

「規則」に従う限り、人は一般的な存在にならざるを得ません。

この映画は、

差別する者もされる者も、成功した者もしない者も「規則」からいかに自由でないのかを描いているのです。

「規範」に従ったシャーリーという黒い肌を持つ社会的成功者に「グリーンブック」がもはや必要ないことは今更いうまでもないでしょう。

パドー

傑作です。機会があればぜひご覧ください。

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本作に対する評価は黒人層からは相対的に低いと聞きます。そのひとつの理由が、白人を英雄的(救世主的)に描いているその演出にあるようです。黒人は黒人に救われる、要するに自立的存在でなければならないという見方はひとつの「規則」です。「規範的」に見ることの困難が如実に現れています。

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✒︎ writer (書き手)

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本サイト「シンキング・パドー」の管理人、人事屋パドーです。
非常に感銘を受けた・印象鮮烈・これは敵わないという作品製品についてのコメントが大半となります。感覚や感情を可能な限り分析・説明的に文字に変換することを目指しています。
書くという行為それ自体が私にとっての「考える」であり、その過程において新たな「発見」があればいいなと毎度願っております。

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