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映画「ラストレター」三人三様の「最後」の手紙

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どこまでも切ない三角関係の当事者たちのそれぞれの「最後」の想い

2020年1月に公開された岩井俊二監督作品である本作は、瑞々しさに溢れかえるラブストーリーです。

松たか子、福山雅治、神木隆之介、広瀬すず、森七菜という豪華キャストが集結した良作となります。

女優陣の演技はことのほか素晴らしく、青春の煌めきや人を愛する想いが手堅い演出のもと十二分に表現されています。

以下、内容に言及しますので、あらかじめご了承ください。

本作は、岩井監督作品として評価の高い「ラブレター」(1995年公開)の主演を務めた豊川悦司と中山美穂が出演する心憎いキャスティングを実現しています。




ストーリー

以下、公式サイトからの一部引用となります。

裕里(松たか子)の姉の未咲が、亡くなった。裕里は葬儀の場で、未咲の面影を残す娘の鮎美(広瀬すず)から、未咲宛ての同窓会の案内と、未咲が鮎美に残した手紙の存在を告げられる。未咲の死を知らせるために行った同窓会で、学校のヒロインだった姉と勘違いされてしまう裕里。そしてその場で、初恋の相手・鏡史郎(福山雅治)と再会することに。

勘違いから始まった、裕里と鏡史郎の不思議な文通。裕里は、未咲のふりをして、手紙を書き続ける。その内のひとつの手紙が鮎美に届いてしまったことで、鮎美は鏡史郎(回想・神木隆之介)と未咲(回想・広瀬すず)、そして裕里(回想・森七菜)の学生時代の淡い初恋の思い出を辿りだす。

広瀬すずは未咲と未咲の娘である鮎美の二役を演じ、同様に森七菜も裕里と裕里の娘である颯香の二役を演じています。

広瀬、森共に、異なる役柄を過剰な演技で演じわけることなく、さりげない仕草や表情の微妙な差異により別々の人物像を巧みに表現しています。

鏡史郎のことが好きだった裕里の配偶者が漫画家であり、鏡史郎が職業作家であることから、裕里が書くこと(描くこと)の創造性に惹かれる人物であることがわかります。




3つのラストレター

言うまでもなく、本作はそのタイトルの通り、最後の手紙をテーマに持つ作品です。

「最後」の手紙とは次の3つとなります。

  1. 娘の鮎美に遺書がわりに残された、未咲が高校の卒業式に読んだ答辞の原稿
  2. 鏡史郎が未咲に一番初めに読んで欲しいために、未咲宛にしたためた小説「未咲」の原稿
  3. 高校生の裕里が鏡史郎に手渡した恋文

本作は音楽に携わるクリエイターたち(いずれも高齢)を俳優として起用しています。鈴木慶一・小室等・水越けいこ・さとう宗幸。おそらく、岩井に何らかの影響を与えたクリエイターたちなのでしょう。

未咲からの「最後」の手紙

同棲相手である阿藤陽一(豊川悦司)との不幸な生活から逃れた後も、精神的に安定しない未咲は娘の鮎美を残したまま、自らの命を断ちます。

鮎美に遺書がわりに残された手紙は、高校の卒業式に未咲が読み上げた答辞だったのです。

鏡史郎に文章のブラッシュアップを頼み、作り込まれた(ある種の共同作と言える)この答辞を未咲は娘に宛てた最後のメッセージとしました。

そこには、当時の自分たちが何者でもなく、無限の可能性が広がっていると同時に、うまくいかなった時もここに戻ってくればいいという真っ直ぐな気持ちが記されています。

その内容は、現在高校生である鮎美にとっても当時と同じくらいに、いや今このような状況下にあるからこそ、十分に理解してほしい「祈りの言葉」として、母から娘へ放たれたものであると言えるでしょう。

と同時に、振り返るならば、未咲の人生の可能性は、卒業の時点がピーク(最後)であったことを示しているのかもしれません。

高校時代に生徒会長を務め、輝いていた女性の名が「未咲」であることは象徴的です。人生の大輪を咲かすことなく、不幸な最期を遂げてしまう運命はどこまでもアイロニカルです。

鏡史郎からの「最後」の手紙

偶然、鮎美と出会い、未咲の位牌に手を合わせることになる鏡史郎は、生前の未咲に送っていた手紙の束を鮎美から見せられます。

母親は辛い時に、鏡史郎から送られてきた小説の原稿を何度も読み返し、励まされていたと鮎美から聞かされます。

彼が未咲に送った手紙の最後が小説「未咲」の原稿であったかどうかは映画の中では直接的には語られていません。

しかしながら、その原稿はある意味、彼が高校三年生の時の出会いから彼女に出し続けたラブレターの完成形(最後)であると言い得ます。

「完成形」であると同時に「完了形」となる意味からも、それは恋愛関係の終焉から書き起こされた恋愛の最中を綴った恋文に他ならないのです。

ラスト近く、東京に帰ることになる鏡史郎が図書館に寄り、裕里に写真で構成されたアルバムを手渡します。ある意味これは鏡史郎から裕里への「最後」の手紙であると言えるかも知れません。しかしながら、厳密な意味で、手紙とは文字で構成されているものという理解から、このケースは該当しないとしています。

裕里からの「最後」の手紙

大人になってから裕里は鏡史郎に宛てて手紙を書きますが、それはあくまで未咲を装った形でしかなされていません。

彼女の事実上の「最後」の手紙は、姉のことが好きである鏡史郎に対して手渡した短文の恋文です。

センパイのことが好きです。私と付き合ってください。

直球勝負の内容であるゆえに、「最初」の手紙はあっさりと「最後」の手紙と化します。

残念ながら、最初から予想された通りの悲しき結末を迎えます。

裕里の恋愛感情はとどめ(最後)を刺されます。

このシーンの森七菜の演技と演出は特筆ものです。この場面を観るだけでも本作を観る価値はあると言えるでしょう。素晴らしいセリフと間です。森のソックスの丈が右脚と左脚で違っている点(未成熟性と稚拙さを象徴的に表現)など、細部にまでこだわる演出の統制力が見て取れるでしょう。

作家の3つのサイン

鏡史郎は3人の女性に求められ、自著「未咲」の扉に決定的とも言えるサインを3回します。

  1. 阿藤の妻であるサカエにサインをねだられて
  2. 亡き母親の持ち物であった「未咲」にサインをして欲しいと鮎美に頼まれて
  3. 鏡史郎が東京に戻る時に裕里にサインを依頼されて

サインとは名前を刻む、すなわち、自分の分身(思念)がサインされた本に留まり続けることを意味します。

第一のサイン

かつて未咲と鮎美が暮らしていたアパートに阿藤は今も住み続けています。

彼がサインを引き受けたのは、未咲の思い出のそばに居続けたいという鏡史郎の気持ち(一種の罪悪感)からでしょう。

と同時に、阿藤を絶対に許さない、お前を見ているという決意の現れが表現されています。

第二のサイン

鮎美が母の形見のひとつである「未咲」にサインを懇願したのは、母のそばに「鏡史郎」がこれからずっと一緒に居て欲しいという、強く真っ直ぐな気持ちからに違いありません。

それは、期せずして未咲の想いを代弁していると言えます。

第三のサイン

裕里がサインを求めたのは、おそらくひとつの「けじめ」からだと考えます。

鏡史郎が未咲を25年間思い続けている思いほど強くはないものの、青春の思い出と共にあった鏡史郎への恋慕を過去のものへと精算するために、サインを依頼したのでしょう。

これにより、彼女の青春はきれいに「額」に収められるのです。

鏡史郎を中心に置くのならば、これら3つのサインは、彼の人生にとって決定的な影響を与えた姉妹への「レター」であると言い得ます。

3つのラストレター

以上のように、

本作は3つのラストレター(最後の手紙)と作家の3つのサインが重層的に折り重なって構成されています。

人の気持ちや想いは簡単に整理のつくものではないので、ラストレターを綴る、もしくは受け取ることで、何かが終わったり、終えることが必ずしもできないのも事実です。

けれども、自らが区切りをつける意思を持つことで、何かが動き出すに違いありません。

何かが終わることのなかに次の始まりの萌芽が埋まっていることを本作はあらためて思い出させてくれるのです。

機会があれば、是非ご覧ください。

なぜ二匹の大型犬が登場せねばならないのかという素朴な疑問を解く鍵は、主人公の姉妹の親子二代にわたる相似性と二匹が対をなしているからに他なりません。と同時に、場所と時間を超えて、彼女たちの人生(生のあり方)は不連続でないことが示唆されているのでしょう。

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