天才川島雄三の凄さをまたしても思い知り、堪能してしまう
映画監督川島雄三の最高傑作は「幕末太陽傳」ではなく、「洲崎パラダイス赤信号」であると信じて疑わないので、三橋達也と新珠三千代の男女関係のグズグズがまたしても見れることを期待しつつ、「風船」を観ることにしました。
当然の
アマゾンプライムビデオでたったの400円でレンタルできるのですから、本当にいい時代です。
貫禄の
川島雄三の演出の凄みをあらためて思い知りましたので、以下に少しばかりお話します。
川島雄三の作品を知りたいのならこちらが詳しいです
尚、内容に言及しますので、あらかじめご了承ください。
ただのニヒリストではない
夭折したために(享年45歳)この監督は人間に対する距離感がシニカルにすぎるという意見も数多くあります。
が、シニカルの彼方に人間讃歌が垣間見れることは、まともに作品を鑑賞したものには容易に理解できるところです。
ヒューマニズム
ある意味、巨匠手塚治虫と同じ眼差しがそこにはあるようです。
「風船」の底に流れるのは、人間の欲望の惨めさ・醜さ・ちっぽけさなのですが、ラストシーンで「イノセンス」が強烈に発現します。
たぶん、この監督はドストエフスキーを愛読していたに違いないだろうと、無邪気に想像してしまいます。
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アップの凄さ
多くの映画で多くのアップをあなたも目にしたことがたくさんあると思います。
古今東西、大根から名優まで、数多くの顔がスクリーンで大写しとなっています。
この作品で、川島は非常に効果的な、というか、奇跡的なアップを2つカメラに収めています。
それは、新珠三千代と森雅之のアップにほかなりません。
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川島のアップの凄さは、
未来を観客の心の中に瞬時に暴発させ、広げてしまうところにあります。
そのシーンにおける人物の心象風景や感情ではありません。
その人物の未来の姿をなんらの過不足なく、観客の心の瞳に映させてしまうのです。
こんな芸当ができる映像作家はそうそういません。
この人はもう二度とスクリーン上には姿を見せないのだろうな(新珠三千代の場合)
自殺未遂をしたホステス新珠三千代のもとに、薄情な恋人の三橋達也の妹である芦川いづみが見舞いに訪れます。
短い訪問のあと、その別れ際に、またお見舞いに来ます、早く元気になってねと無邪気に言い放つその言葉を受ける新珠三千代の表情から観客は彼女の心情を的確に掴むことはできないはずです。
それほど、新珠の顔の上には何も「書かれて」はいません。
しかしながら、あなたは、この女は必ずもう一度命を断とうとし、思いを遂げるだろう、そして二度とスクリーン上にその顔を見せることはないだろうと、直感的に、無条件に思ってしまいます。
果たして、そのとおりに彼女はガス自殺をし、ただ腕だけが映し出されます。
川島のアップの演出は、
複雑な感情や類型的な感情を表に出すことを要求することなく、そうではなく、感情未満を女優に迫ったのではないかと、そう思わざるを得ないぐらいに「無」が徹底され、新珠の顔の上には見事なまでに「感情」が浮かんではこないのです。
感情を殺すことにより、感情だけを目の前に放り投げる、稀有な演出に目眩がします。
充実した晩年が毎日が約束されているのだろうな(森雅之の場合)
家族にも会社にも見切りをつけ、学生時代の下宿先であった京都の地を終の棲家と決めた元経営者の森雅之は、バカ息子の三橋達也と体裁ばかりを重んじる妻から遠く離れ、ひとり静かに美の世界を追求しています。
心残りはいっしょについてくるものとばかり思っていた愛娘芦川いづみとの別離ですが、どこかでもう諦めてしまい、ささやかなつましい暮らしを続けます。
盆踊りの夏の夜、踊りの輪の中に、居るはずのない娘芦川いづみが踊っている姿を認めます。
下宿先の知り合いからの説明によると、一緒に住むために今日の午後に東京から京都に到着したとのだと言うのです。
ここで森雅之のアップが、結構長い時間続きます。
凡百の監督の演出であれば、不必要で過剰な演出が繰り広げられるところですが、川島は違います。
驚くべきことに、森に一切、演技をさせていません。
感動の場面であるために、勢い込んで過剰な演出を施したり、はたまた微妙なニュアンスを要求する演出がなされがちなのですが、一切を禁止しています。
潔いほどに、「ただの顔」のアップが続くだけです。
とんでもない演出です。
なぜなら、先程と同様に、観客は森雅之の明日からの生活を本人以上に想像できてしまうからです。
彼に起こるであろう心の襞の暖かさを感じることが可能となるからです。
繰り返しますが、とんでもない演出が実現されています。
陳腐で感傷的なシーンになってしまいがちの場面を陳腐な感情で一切占拠させない、第一級の演出です。
他にも見どころいっぱい
本作は、女優陣が特に素晴らしいです。
北原三枝のダンスは必見です。
左幸子の精神の清潔感には襟をたざさざるを得ません。
森雅之は成瀬巳喜男の大傑作「浮雲」のときも、こりゃかなわないと唸りました、本作でも天下一品でした。
メモ
「東京物語」の監督である小津安二郎はかつて「俺にできないシャシンは溝口健二の「祇園の姉妹」」と成瀬巳喜男の「浮雲」だけだ」と言ったそうです。