どうにもこうにも魅力的な旅行記だ!
キンドル電子書籍にて村上春樹氏の「辺境・近境」を読み直しました。

1998年刊行。ほぼ二十年前になるんですね。
1990年から1997年の間の7つの旅が記されています。
- イースト・ハンプトン
- 作家たちの聖地
- 無人島・からす島の秘密
- メキシコ大旅行
- 讃岐 超ディープうどん旅行
- ノモンハンの鉄の墓場
- アメリカ大陸を横断しよう
- 神戸まで歩く
辺境の消滅した時代
いちばん大事なのは、このように辺境の消滅した時代にあっても、自分という人間の中にはいまだに辺境を作り出せる場所があるんだと信じることだと思います。そしてそういう思いを追確認することが、即ち旅ですよね。
辺境はどこにもないし、どこにでもあると言えます。
実のところ、もはや地球上にはどこにもないのです。
けれども、あなたの心の中にはあります。
正確に言い直しましょう。
あなたが立っている日常的な場所はどこであっても辺境になりうるのだ、と。
そのような辺境がまだ自分の中に残存していることを確認するために、あなたは時間とお金をかけて実際の旅に出かけるに違いありません。
目に見える辺境が無くなった今日、目に見えない辺境もなくなろうとしています。
神戸まで歩く
最後の「神戸まで歩く」だけが発表の宛もなく書き留められていた「自分のために書いた文章」だそうです。
1997年5月。
村上はひとりで西宮から神戸まで歩きました。
距離にすると15キロメートルほどです。
故郷について書くのはとてもむずかしい。傷を負った故郷について書くのは、もっとむずかしい。それ以上言うべき言葉もない。
1995年1月の阪神・淡路大震災の傷跡がそこかしこに見られる故郷を村上は歩きます。
十代の大半を過ごした街はまったく様相を変えていました。
あまりに物理的な
だから正確な意味でそこを「故郷」と呼ぶことは、もうできない。その事実は、僕にいくらかの喪失感をもたらす。記憶の軸が、身体の中でかすかな音を立てて軋む。とても、物理的に。
これをレトリカルに受け取るとあなたは「多くのもの」を掴み損ねてしまいます。
そのような凡庸な修辞をノーベル文学賞の有力候補が口にするわけがないのです。
彼の中では「心的現象」と「物理的状態」が何らの不都合もなく接続します。
このつながらないであろうものがつながるという感覚を前提なしに受け入れない限り、彼の紡ぐ物語の豊穣さに触れることは決してできません。
あるいは地下鉄サリン事件の影を引きずりながら、「阪神大震災とはいったい何だっただろう?」と考え続けた。それら二つの出来事は、別々のものじゃない。ひとつを解くことはおそらく、もうひとつをより明快に解くことになるはずだ。それは物理的であると同時に心的なことなのだ。というか、心的であるということはそのまま物理的なことなのだ。僕はそこに自分なりの回廊をつけなくてはならない。
その回廊が、「ねじまき鳥クロニクル」であり、「スプートニクスの恋人」であり、「騎士団長殺し」であり、「海辺のカフカ」であることは、いまさら言うまでもないでしょう。
孤独のレッスン
何かをたどる旅は、わかっていたこととはいえ、当時の残存記憶のかけらも手にすることのできない「旅」となります。
人は年をとれば、それだけどんどん孤独になっていく。みんなそうだ。でもあるいはそれは間違ったことではないのかもしれない。というのは、ある意味では僕らの人生というのは孤独になれるためのひとつの連続した過程に過ぎないからだ。だとしたら、なにも不満を言う筋合いはないじゃないか。だいたい不満を言うにしても、誰に向かって言えばいいんだ?
「重さ」を周到に回避しながら、ここではドストエフスキー級の金言がぽんと投げ出されています。
人生とは孤独のためのレッスン期間と言い切ることはニヒリズムに過ぎます。
このような認識なしに人生を送ることはあまりに軽く薄いと言わざるをえないでしょう。
本書を読んでただちに旅に出かけたくなるかは、いささか疑問です。
でも、辺境を訪ねてみなければという気持ちは少なからず顔を見せるはずです。
機会があれば、ぜひ手に取ってみてください。
私は神戸に祖父母がいて、大学も神戸方面であったために大変興味深く読みました。震災から一年後に三宮の駅前に立ちましたが、何かが違ってしまっていることはよく理解できました。大阪に出張するときは、なんとか時間を取って阪急電車に乗るようにしています。六甲から三宮まで窓の外をぼんやりと見ている時間は曰く言い難い感情に包まれます。二度と取り戻せない時間の尻尾をもしかしたら掴めることができるのではないかと、ひとり夢想するのです。

