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「地獄の黙示録」闇の奥にひそむ対象なき復讐の末路

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今もなお語り続けられる問題作は同時代の映画である

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「地獄の黙示録」(原題「Apocalypse Now」)はアメリカ映画を代表する傑作と言われています。

40代以上の方ならば、その作品名を一度は聞いたことがあり、多くの人が一回はご覧になったことがあると思われる有名な作品です。

監督は、フランシス・フォード・コッポラ。

代表作に「ゴッド・ファーザー」「コットンクラブ」などがあります。

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1979年に公開され、その年のカンヌ映画祭において最高賞であるパルムドールを受賞しています。

出演陣は重厚そのもの、映画史に残る個性派(問題児)ばかりです。

  • 主演のウィラード大尉役のマーティン・シーン
  • カーツ大佐役のマーロン・ブランド
  • ギルゴア中佐役のロバート・デュヴァル
  • 報道写真家役のデニス・ホッパー

原作は、ジョセフ・コンラッドの「闇の奥」となります。

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物語は、

ベトナム戦争時、アメリカ軍の指揮下を離れ、カンボジアに独立王国を築いている元グリーンベレーの大佐であるカーツの抹殺の命を受けたウィラード大尉を主人公とした物語です。

1979年公開当時の「一般バージョン」は2時間27分ですが、2001年に「特別完全版」として3時間15分のバージョンが発表されています。

パドー

これらとは別に、エンディングに空爆シーンが流れるバージョンもあるようですが、私は未見となります。

かつて、監督自身がこの映画のテーマについてインタビューで問われたときに、わからないと答えたそうです。

観客に対してあえて解釈を植え付けない配慮からというよりも、映画製作に対してどこまでも真摯さを貫く態度で知られる監督であることを念頭に置けば、彼の偽らざる意見の表明であるとむしろ思われます。

観るものにいくつもの解釈を許す奥の深い作品であるために、どのような解釈も成立するのでしょう。

私の解釈は、

本作のテーマを「対象なき復讐」と理解しました。

以下、内容に言及しますので、あらかじめご了承ください。

村上春樹は本作をプラーベート・フィルムと言っています。その意味するところはおそらく、テーマの不明瞭さからくる作品の輪郭の頼りなさを指摘しているのでしょう。

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呪われた映画

本作も名作にありがちである、エピソードに事欠かない作品です。

ある種の「呪われた映画」と言えるでしょう。

  • 当初の主演俳優が2週間で降板
  • マーロンブランドが約束を破り、ダイエットせずにロケ入りし、演出プランは大幅変更
  • マーティン・シーンが撮影中に心臓発作で入院
  • デニス・ホッパーがドラッグ使用が過ぎて、セリフがまともに言えない
  • 当初予算の1,200万ドルが3,000万ドル以上に大幅超過
  • 撮影期間が17週間から60週間以上に大幅延長
  • ロケ地であるフィリピンが台風に襲われ、セットが全壊

数え上げればキリがないぐらいに、アクシデントの連続です。

当時、本物の死体が使われているなどといった、もっともらしい噂が飛び交っていました。もちろんそんなことはあるはずがないのですが、そうと思わせるだけの「雰囲気」がスクリーン上には漂っています。

本作の評価

このような苦難を経て完成された作品は、当時から毀誉褒貶に包まれていました。

失敗作であるというブーイングと大傑作という称賛が入り乱れます。

評論家も観客も、本作に対して様々な意見を口にしました。

一般的な評価としては、

  • ベトナム戦争の狂気が鮮やかに切り取られている
  • 人間の狂気が生々しく描かれている
  • 国家の欺瞞が赤裸々に語られている
  • ヒューマニズムの欠如が甚だしい
  • 殺人の無条件な肯定
  • アメリカ帝国主義の腐臭が我慢ならない
  • 戦争映画として陳腐に過ぎる
  • これこそが映画だ

いずれも、本作の特徴を捉えていると言えるし、捉え切れていないとも言えます。

それほどに、多面的な顔を持ち、複雑な作品であるのでしょう。

正当性の消失

ジャングルの奥で原住民を従え、王となることを選んだアメリカの軍人の動機は明瞭には語られていません。

同様に、

なぜカーツ大佐を暗殺しなければならないかの明確な理由について、ウィラード大尉は掴み損ねたまま彼を追います。

映画の冒頭で、殺人罪に問われているためだとの理由が示されますが、戦争状態における殺人行為に果たして線引きができるのか否かが意味をなさないことは、軍事関係者の間では自明であるとの濃厚な空気が漂っています。

軍規違反という秩序紊乱への加担に対する処罰というよりも、私的王国というスキャンダルの露見を阻止することが真の理由であるのでしょう。

追跡の途上において目の当たりにする、サーフィンがしたいがために村を攻撃するギルゴア中佐の狂気とカーツ大佐の乱心の間の違いをウィラードは見出すことができないのです。

なぜ、カーツが裁かれなければならないのか。

戦争状態における戦闘行為の正当性は、殺す者にとっても殺される者にとっても常に「闇の奥」に違いありません。

王殺し

この物語は「王殺し」というモチーフを掲げています。

並みの監督であれば、王を殺し、新しい王が誕生する「王位継承」という物語に仕立て上げるところでしょう。

パドー

そのほうがわかりやすいからです。

しかしながら、

「ミイラ取りがミイラになる」という一般法則を明らかに脱臼する演出が施されています。

カーツ大佐を殺害したウィラード大尉は、王国を継承しません。

スクリーン上では、王国の民の多くが彼を新しい王と迎える態度を示しているにもかかわらずです。

なぜ、彼は王になる道を選ばなかったのでしょうか?

王の奇妙な自殺

思い出してください。

自分を殺しにきた人間であることを十分にわかっていながら、カーツ大佐は一度は拘束していたウィラード大尉に自由を与えます。

この奇妙な行動は、カーツ大佐が自らの始末を自らの手でつけたいことを如実に語っています。

すなわち、

ウィラード大尉に自らの命を奪わせるために、彼を自由にしたのです。

自らの始末を願っていたカーツにとって、自殺は禁じられています。

なぜなら、

彼は王国の王だからです。

王国の継承は、新しい王が現在の王を葬り去ることで完成=絶対となります。

カーツが簡単にウィラードに殺されてしまうことからも、彼が自らの死に積極的に加担したことは明らかでしょう。

彼は、他人の手によって「自殺」したかったのです。ずっとそれを夢見ていたのでしょう。

対象なき復讐

ウィラードが果たそうとしたのは、ある種の「復讐」と言えます。

彼はベトナムから帰還した後に、再びベトナムに戻り、特殊任務を命じられます。

地獄(戦場)から安息の地である妻のもと(日常)に戻りながら、そこで別の「地獄」に遭遇します。

日常に対する不適合であり、強烈な違和感です。

アメリカは彼の地(ホーム)ではありませんでした。

妻と別れ、再び逃げるようにしてベトナムに戻ります。

非日常が日常化した結果、日常が非日常化してしまいました。

安息の地はどこにもなかったのです。

彼はベトナムに「復讐」されました。

ベトナムに復讐されたウィラードはベトナムでしか生きることのできない自分自身を期せずして発見してしまいます。

つまり、

復讐すべきもの(ベトナム)が復讐の対象になり得ないことを知るのです。

なぜなら、

憎むべき対象に自分自身が全面的に依存しているからです。

復讐すべき「相手」が「自分自身」である事実から目を背けることなどできません。

それでも復讐をするのであれば、

自分で死ぬこと以外に道はありません。

このような自暴自棄の過程において、彼はカーツ大佐暗殺というミッション(生きる意味)を与えられます。

カーツの殺害は、この意味において「自殺」と同義なのです。

カーツ大佐の暗殺が困難であればあるほど、彼の復讐はその完成度を増し、どこか(安息地)に行けるかもしれない希望となったことでしょう。

もしかすると、未遂に終わることを願っていたのかもしれません。

しかしながら、

カーツは、実にあっさりと彼の手にかかってしまいます。

ウィラードがミッションの呆気なさに拍子抜けし、その意味を知ることに大した時間はかかりません。

彼は即座にすべての意味を理解したのでしょう。

ゆえに、

王国に留まることを選択しませんでした。

なぜなら、

カーツは「復讐の対象」たり得なかったからです。

「彼」ではないし、「彼」では不十分なのです。

ウィラードは復讐の対象を失います。

「結末」はあっけなく彼の手からこぼれ落ちました。

ウィラードはいよいよ「どこ」にも行けなくなります。

すなわち、

対象なき復讐と生きることが彼の唯一の「生」であることを突きつけられてしまうのです。

映画のラストで、彼の大写しのアップに重ねられるセリフを思い出してください。

地獄だ。地獄の恐怖だ。

これはウィラードの血の叫びです。

復讐の対象が消え去ったことにより彼は気づいてしまったのです。

彼の中の「復讐」はそもそもの始まりから「対象」を持ち得なかったのだと。

正確にいうならば、

復讐というリアルは消えることは決してないが、その対象にたどり着くことは絶対にできはしない、と。

これを「地獄」と言わずとして何を地獄と呼べるしょう。

「黙示録」という言葉の意味は「明らかにすること」「暴露」となります。

対象なき復讐が明らかになった今、彼の生は「地獄」それ自体と言っても過言ではないのです。

地獄の恐怖から彼が逃れる術があるのならば、それは彼自身の「闇の奥」に違いありません。

エンディングに空爆シーンを登場させるバージョンをコッポラが選択しなかった意味はわかるような気がします。なぜなら王国は復讐の対象ではないからです。空爆によって全滅させることがすなわち狂気の消滅であるという「分かり良い答え」を与えることになり、物語がとりあえずの完結を迎えてしまうためです。そのような完結が監督にとっても我々にとっても、偽りの完結であることは今更言うまでもないでしょう。

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✒︎ writer (書き手)

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本サイト「シンキング・パドー」の管理人、人事屋パドーです。
非常に感銘を受けた・印象鮮烈・これは敵わないという作品製品についてのコメントが大半となります。感覚や感情を可能な限り分析・説明的に文字に変換することを目指しています。
書くという行為それ自体が私にとっての「考える」であり、その過程において新たな「発見」があればいいなと毎度願っております。

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