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「エンゼル・ハート」悪魔との契約不履行の代償は死よりも重い

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劇場公開時のコピーが「人間には、知ってはならないことがある」であった伝説の悪魔的フィルムをあなたは見たことがあるだろうか?!

最近ブルーレイが発売されたので、やっとみることができました。

  • アラン・パーカーの「エンゼル・ハート」
  • というか、ミッキー・ロークの「エンゼル・ハート」
  • というか、ロバート・デ・ニーロの「エンゼル・ハート」

全盛期のミッキー・ロークの魅力が全開している映画。

パドー

彼は刑事や探偵や殺し屋といった役がぴったりの大好きな役者です。

1987年に制作されたとは、にわかに信じがたいスタイリッシュな出来栄えは目をみはります。

以下、内容に言及しますので予めご了承ください。

問題作・衝撃作

レビューの多くが語っているように、

アラン・パーカー好きや、ミッキー・ロークファンにはたまらない作品に仕上がっています。

キリスト教圏の人達から見れば、我々日本人とは受け止め方がぜんぜん違うのだろうと思えるほどの、実に宗教性の高い物語となります。

今でこそ、グロテスクな映像は氾濫していますが、当時は衝撃をもって受けとめられたと容易に想像できる演出がほどこされています。

後半の舞台を南部に置くことで、土着性や猥雑さがむせ返るようにスクリーンに横溢している。

パドー

このテイストがハマる人にはドンピシャなのでしょう

悪魔との契約は死以上を差し出さなければならない

悪魔との契約は必ず履行されなければならず、決して例外はない

これがこの物語の主題となります。

そのことだけを113分間を使って粛々と我々の前に提示します。

パドー

恐ろしいことです。

なぜなら、命を差し出してもそれで「終わり」とはならないからです。

ロバート・デ・ニーロ扮する悪魔ルイ・サイファーは言います。

魂は不滅であると

取り交わされた悪魔との契約とは、欲望を実現する代わりに魂を差し出すことを意味します。

繰り返しますが、命を差し出してそれで「終わり」ではないのです。

魂を差し出さねばならないのです。

不滅である魂を差し出すとは、悪魔とともにある意味、永遠を生きるということに他なりません。

キリスト教徒にとって、これは地獄以外の何物でもないはずです。

堕ちた天使

ロバート・デ・ニーロが、卵とは魂の一種であるという意味のような言葉を吐き、ゆで卵を個性的な食べ方で口にする印象的なシーンは、それゆえに度を超えた行為と彼ら(キリスト教圏内の人びと)には映るはずです。

主人公のハリー・エンゼル(ミッキー・ローク)が「にわとり」が嫌いな理由はこのことと地続きであることを思い出してください。

卵を生むにわとりは魂の一種(一様体)であり、かつ、にわとりは卵から生まれるのであるから、やはり魂そのものと言えます。

魂を差し出すことを回避し続け、逃げ回る主人公が魂を連想させるにわとりを意識の上でも無意識のレベルにおいてもそれを嫌悪することは当然であり、必然であるのです。

原作のタイトルは「堕ちた天使」。

あなたの想像の通り、落ちきったところにもちろん、魂の救済などありはしません。

思い出したくもない契約内容を思い出してください。

もはや魂は悪魔とともに常にあるのだから。

それが、主人公=キリスト教徒にとって「永遠の死」であることは今さら言うまでもないでしょう。

もうお分かりのように「エンゼル・ハート」は「堕ちた天使」と「主人公エンゼルの心臓(ハート)」の2つの意味が込められたタイトルです。このハートは作品内においては「卵」という具体的な形をとって表現されています。このことを念頭に置き、デニーロのレストランでの食事シーンを見直すのならば、なぜこのシーンが公開時に衝撃を与えたのであるかが理解できるはずです。

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✒︎ writer (書き手)

人事屋パドーのアバター 人事屋パドー レビューブロガー

本サイト「シンキング・パドー」の管理人、人事屋パドーです。
非常に感銘を受けた・印象鮮烈・これは敵わないという作品製品についてのコメントが大半となります。感覚や感情を可能な限り分析・説明的に文字に変換することを目指しています。
書くという行為それ自体が私にとっての「考える」であり、その過程において新たな「発見」があればいいなと毎度願っております。

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