悲願達成
数十年前に、TVで見たきりの作品。
金曜ロードショーか日曜洋画劇場かは定かではありません。
衝撃波を食らったことだけは記憶にあります。
あれから、見なければ見なければと思いつつ、時は流れました。
ブルーレイにて発売されたので、購入し視聴。

沁みました。
大作かつ名作
スティーブ・マックイーンとダスティン・ホフマンの二大スターの共演。
実話を下敷きにし、1973年当時で40億円が投じられた不朽の名作です。
スティーブ・マックイーンのファンであった友人は「大脱走」が一押しですが、わたしは「パピヨン」か「栄光のル・マン」かを甲乙付け難いまま現在に至っています。
象徴としてのマックイーン
スティーブ・マックイーンは「不屈の精神」や「自由への渇望」の象徴としての多くのファンに理解・認識されています。
現代においてそのような映画スターはほとんどいないのかもしれません。
時代が複雑すぎて、画一的なキャラクターを確立しがたいからだろうか。
唯一その後継にあたるのが、007のダニエル・クレイグであったと思います。
幻の法廷
独房のシーンが長すぎるとの意見をたまにみかけますが、わたしはこのシーンがいちばん好きです。
極限状態の中で精神が繰り返し試されます。
友を売りそうになりながらもなんとか思いとどまります。
栄養失調になり、意識がもうろうとする中で、彼の前に白昼夢が現れます。
砂漠の中を歩いていくと、裁判官たちが目の前にいます。
そのうちの一人がパピヨンに罪を問いただします。
彼は殺人はやっていない嵌められただけだと弁明します。
そんなことは分かっている、本当の罪のことを言っているのだと、裁判官は言うのです。
本当の罪?
パピヨンには心当たりがありません。
お前は人間として最悪の罪を犯している、とそういうのです。
その罪とは人生を無駄にしたことだ、と。
その罪は死に値する、そう断言するのです。
パピヨンは認めます、とつぶやきます。
有罪ですと、そう自分自身に言いながらその場をあとにします。
ここで画面が切替わり、目元の大写しとなり、おもむろに部屋から光が奪われていきます。
ココナッツを差し入れた者の名を白状しないために、食事が半分になり照明を奪われる罰を課せられてしまうのです。
死への一本道です。
このあとの、闇の中で、わずかに天井から漏れる光に目元と額だけが浮き上がるショットは、キリストの苦悩を連想させる素晴らしい画に仕上がっています。
自由への渇望
椰子の実を麻袋に詰めただけの浮き輪で40キロ先の本土に辿り着こうと無謀な脱獄を試みる最後のシーンは、ダスティン・ホフマンが居残ることで、よりコントラストを鮮明にし、見るものの心に深く残ります。
人生を無駄にするとはどういうことだろうかと、見終わったあとに少しばかり考えました。
色々な答えが浮かんでは消え、消えては浮かびました。
もしかすると、パピヨンは次のような答えにたどり着いたのかもしれないなと想像します。
人生を無駄にするとは無目的に生きることであると。
その場合の目的とは人生を賭けるに値するものでなくてはならないと。
人生を、命を差し出しても構わないゴールでなければならないと。
崖の上から飛び降りるとき、彼は一瞬の躊躇も見せなかったなあ、と見終わったばかりのシーンが駆け抜けたのです。

