永江一石氏の「ネットが面白くてナニが悪い」読了
内容を肯定できるところできかねるところ、読んだあとにひとそれぞれ感想があると思います。
私の場合は大肯定
データの裏付けがあることは言うに及ばず、論理的な説得性ある文章展開は、読んでいて心地よいです。
昨今、この手の心地よさは貴重です。
この文芸(話芸に対しての文章の芸能のことで、いわゆる文藝のことを指しておりません)は、希少。
簡単にいうと、お金を払って読む価値のある文章ということになります。
情報に関する考察
その中でも、特に興味深かったのは、情報に関する考察の数々となります。
ご専門が、情報の最前線での切った張ったのお仕事であるとお見受けするので、その感度、切れ味は、一般ピープルとは桁違いなのは当然ですね。
永江さんは次のように言います。
情報収集の高い人と、そうでない人の根本的な差は「物事に興味を持っているかどうか」ということになる。
これは、職業柄、学生や若手社員に日頃接していて感じるところなので同感です。
彼らは幼いときからIT環境が整っているので、息をするようにごく自然に情報を収集します。
でも、それだけなのです。
ある意味、剥製を集めているばかりで、血が通わない使いものにならない情報の断片をかき集めます。
おまけに、生身の人間には全くの無関心。
ゆえに、どこにもたどり着けない情報の抜け殻だけで、なにかを考えたりつもりの方も実に多いです。
物事に関心がない、つまり外界に一切の興味がないので、ものを考えるポイントが決定的に抜け落ちてしまっています。
では、その反対に自分に関心があるのかといえば、そこもまた疑問符。
まだ、「自分大好き」の輩のほうが多少はマシなのかなという具合です。
水や空気と同等である
現代社会において、情報は生存の条件のひとつであるはずです。
水や空気と同等のレベルでしょう。
少なくとも、
これから何十年にもわたってAIや外国人労働者と互して戦わなければならない若者にとっては、情報の取扱は死活問題であるはずです。
本書を読んで、情報に対する基本的処し方を身につけてくださいと願うばかり。
なんせ、一石、四の五の鳥は軽くいっちゃうのだから。