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映画「カリスマ」世界の複雑性をありのままに受け入れよ

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カルト的人気を誇る黒沢作品が教えてくれる今日的な意味とは

2000年に日本での劇場公開(前年にフランスで先行公開)となった黒沢清監督の作品「カリスマ」は、今でもカルト的人気を誇る問題作であり傑作です。

哲学的な難解さを有するために、賛否両論に別れる本作は、公開から20年の時を経た今、世界が不透明感を増す現在において見直すとき、案外に見通しの良い構図をあなたに提供してくれることでしょう。

世界が全面的に複雑性に覆われてしまった21世紀の現在だからこそ、黒沢が見出したテーマをあなたも今ならリアリティを持って共有できるはずです。

世界の複雑性をありのままに受け入れよ、否定も肯定も保留し。

以下、内容に言及しますので、あらかじめご了承ください。




ストーリー

ある人質事件を担当した刑事の藪池(役所広司)は結果として、犯人と人質の両方を死なせてしまう。神経衰弱を癒すために休暇を言い渡された藪池は、休暇中にある森の中に彷徨いこむが、その森には特別な「カリスマ」と呼ばれる樹が一本生えており、その木をめぐり住人たちは対立する構図にあった。森の中での滞在を通じて、藪池は森で生きる者たちと奇妙な関係をとり結んでいくこととなる。

黒沢作品に固有の構図的素晴らしさが本作においても遺憾なく発揮されています。

全体を支配するダークトーンは今回も健在であり、良質のサスペンスホラーとして仕上がっています。

何度見ても思弁性に満ちた怪作です。




どちらも取れない

人質事件を担当した藪池は、人質に拳銃を突きつける犯人を撃つことができませんでした。

その結果として、犯人は人質を射殺し、複数の警官の発砲により犯人も絶命します。

最悪の結果に加担してしまった藪池の理屈はどちらも助けたかったというある種の博愛的理想主義です。

しかしながら、実際は、二者択一の困難に宙吊りにされたという他ありません。

発砲した場合、必ずしも犯人に命中するというわけでもなく、人質の命を奪う可能性も捨てきれません。

その一方で、彼が犯人を撃たなければ、犯人が人質を撃つという可能性は高まり続けるのです。

藪池の「躊躇」の引き金となったのは、犯人から手渡された紙切れに記された次の要求を読んでしまったからだとも言えます。

「世界の法則を回復せよ」

この不可解なメッセージが藪池に拳銃の引き金を引かさなかったのです。

この後、彼は解消しきれない不可解を独り抱えながら、偶然に(必然に)森の中へと入っていくこととなります。

森の中の対立

森の中では一本の木を巡って住人が対立しています。

「カリスマ」と呼ばれる特別な木を守る青年、桐山(池内博之)と、その木が吐き出す毒素によって森全体が衰弱していると信じ込み、カリスマを伐採しようと目論む、中曽根(大杉漣)という男を代表とする住人たちの対立です。

特別な個を生かすのか、全体を救うのかの困難な二者択一がここでも突きつけられています。

しかしながら、この択一は「偽の択一」に過ぎません。

というのも、森の生態を研究する大学教授の神保(風吹ジュン)が、森全体の水脈に通じている井戸に一年超にわたり、毒物を混入し続けた結果、森の木々が枯れていく被害が拡大し続けているからです。

彼女は、森の再生を願うあまりに、一度全滅させることで、森自身の再生力によって再び生き返らせようという狂信的な計画を進めています。

これに加え、「カリスマ」と呼ばれる木は、廃墟と化した病院の今は亡き病院長が大陸から取り寄せた珍種に過ぎず、その意味では本来の森の生態系に多少の影響を与える存在といったレベルの植物なのです。

人々の誤解や願望が作り出した偽の二者択一という事態の最中にあって、藪池はとりあえず「カリスマ」を保護・世話するという立場に加担しますが、どこまでも保留的態度を貫きます。

そうするうちに、住人と結託した植物ブローカーと呼べるであろう猫島(松重豊)たち業者の手で「カリスマ」は掘り起こされ(大陸からの珍種であるために高く売れるため)、紆余曲折を経て、神保姉妹により燃やされてしまいます。

択一の困難とは無縁な

この映画は「択一の困難」を観るものに提示します。

藪池は二者択一の宙吊り状態の出口を見つけるために、森に入りますが、そこでもまた二者択一の事態に遭遇します。

しかしながら、森の中の二者択一は彼にとってはさほどの困難さを強いません。

なぜなら、それが偽の二者択一であることを彼は理解しているからです。

立場が明確であるのならば、確固とした価値観に基づき、二つのうちの一つを選び取れるからです。

そこには「困難=危機」は存在しません。

彼を宙吊る択一の困難とは無縁である「判断」を働かせば、物事は済んでしまうからです。

しかしながら、木を巡る一連の騒動の過程を通じて、彼は彼を縛る二者択一の問題に深く関わっている自身を見出します。

もう一つの「カリスマ」

「カリスマ」が焼かれたのち、藪池は森の中で、枯れてしまう寸前の巨木と出会います。

その木を「カリスマ」と呼び、藪池だけが世話を続ける行動に出ます。

再び、猫島が現れ、大金と引き換えに譲ってくれないかという提案をします。

藪池は、大金もいらないし、持っていてもいいと言葉を返すばかりです。

事態は急変し、

一種の狂乱状態にある神保が巨木に差し込んだボンベに藪池が銃弾を打ち込み、その結果大木は大破し、神保を人質にとった猫島は藪池に躊躇なく撃たれてしまい、傷を負います。

このように後半に向かうにつれ、加速する荒唐無稽ぶりは黒沢映画の真骨頂ですが、覚えておかねばならないのは、藪池の態度変更に他なりません。

彼は、躊躇なく引き金をひきました。

できれば、どちらも生かしたいが、それが叶わないのであれば、結果の如何を問わず、ありのままを受け入れるしかないと言い切ります。

神保の妹がいみじくも予言したように、その瞬間に藪池はもう一つの「カリスマ」となりました。

世界の法則を回復する

世界が混迷を深める21世紀の現在から、あらためてこの映画を観るとき、藪池が達した境地は、この複雑な世界で生き延びるために、日々悪戦苦闘している我々自身にとっては馴染み深い心境であるはずです。

性急に答えを出さす、問題を矮小化せず、一方的な価値観で判断しないこと。

世界の複雑性をありのままに受け入れ、否定も肯定もせずに保留しつ続ける態度こそが、求めていた答えに違いありません。

全てを都合よく解決する「世界の法則」など、この世界のどこにもないのだという覚悟が問われていたのです。

回復されるべきは世界ではなく、あなた自身でなければなりません。

しかしながら、回復の道のりは一筋縄ではいかないはずです。

ラストシーンは、東京の街を遠くに見渡せる山の上に立つ藪池と負傷して急ごしらえの担架のようなものに乗ってひきづられる猫島の姿です。

夜の街は所々、炎に包まれており、頭上を三機のヘリコプターが唸りを上げて彼らの頭上を通り過ぎていきます。

怪しげな内乱の予感に満ち溢れた、とても印象深いラストシーンです。

ハンディキャップを背負いながら、日常=戦場に向かおうとする藪池に、あなた自身を重ねることはそれほど難しくはないはずです。

傑作です。機会があれば是非ご覧ください。

東京が火の海と化そうとしているのは、おそらく中曽根と行動を共にしていた住人たちから成る武装集団の仕業に違いありません。閉鎖された場所で育成された「狂気」が野に放たれる予感が象徴的に描かれています。

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