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「定本柄谷行人文学論集」思想家(批評家)のその可能性の原点

2017-02-05

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「定本柄谷行人文学論集」思想家(批評家)のその可能性の原点

2017-02-05

この記事は約3分で読めます

30年という歳月

定本 柄谷行人文学論集

柄谷行人氏の著作を手にとって以来、30年以上の年月が流れました。

少なくない時間です。

熱心な読者であると思います。

彼の影響から、中上健次や坂口安吾、武田泰淳を読み始めるようになりました。

彼の影響から、漱石やシェイクスピアを再発見したのです。

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異例の文学批評

現在の「世界史の構造」に代表される思想的仕事についても興味深く、考えさせられることが多々あります。

しかしながら、自分の若い頃に出会った「マルクスその可能性の中心」や「日本近代文学の起源」といった野心的な作品に、当時も今も強く惹かれます。

前者の「マルクスその可能性の中心」は文学作品を扱ってはいません。

が、そこにはまぎれもなく、文学に対するむせ返るような「蒸気」が充溢しています。

柄谷は「文学論集」の序文で次のように言います。

74年には、「柳田国男試論」と「マルクスその可能性の中心」を同時に連載するようなことを始めた。いずれも狭義の文学批評から離れるものであった。私自身はそのような仕事を文学批評と見なしていたのであるが。

わたしは、もちろんリアルタイムで、その連載をフォローしておりません。

「マルクスその可能性の中心」は当時、文芸雑誌であった「群像」に連載されていたこと自体が異例中の異例であったそうです。

なぜ、マルクスが文芸誌に連載されねばならないのか、柄谷はそこで何を書こうとしているのでしょう。

そのことを本人以外に直感的に理解し、注目していた人物がたった二人だけいたそうです。

高校生の浅田彰と東大哲学科中退の小説家田中小実昌。

よくできたエピソードです。

それほど、孤立無援な仕事が展開されていたという都市伝説ならず、フォークロアであったのでしょうか。

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文学批評という仕事

なぜ、彼はそれらの理論的色合いの強い仕事を文学批評と呼ぶのでしょうか。

次のように端的に述べています。

90年代の終わりにいたって、「トランスクリティークーカントとマルクス」を書き終えた。そう思う人は稀であったが、私自身はこれを文学批評と見なしていた。なぜなら、テキストの読解を通してその「可能性の中心」を引き出すものであったからだ。

ここから、ふたつのことが導き出されるでしょう。

あらゆるテクストは文学作品である。

批評とは、テクストを通じて不可避的に批評的自己が語られてしまうものである。が、そのことに自覚的な批評だけが批評の名に値する。

私がそのとき見出したのは、文学批評であった。それは狭義の文学に限定されない。対象が何であれ、書かれたものであるならば、それに関する批評は文学批評であると、私は考えた。

以上の意味において、柄谷の著作は常に「文学作品」です。

言い換えると、銭の取れるテキストであったのでしょう。

言うまでもなく、銭の取れるテキストだけが古典の資格を持ちうるのです。

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終わりという感覚

漱石と子規について次のように言います。

しかし、そのようなことは、彼らが日本近代小説と詩における創始者であったことと矛盾しない。彼らが創始者になりえたのは、むしろそれが終わると考えていたからではないか、と私は思う。

始まりは終わりに媒介されています。

音もなく確実に。

しかし、私が近代文学の「起源」を問うたのは、すでに何かの「終り」を感じていたからである。

文学の永遠を信じられるものは、無邪気で幸せです。

そして、救われます。

何かを創り上げなければならぬものは、それが永遠に続くものではないところから出発しなければなりません。

これは極めて不健康な思想です。

しかしながら、ここには肯定性が溢れかえっています。

柄谷は彼が批評する文学者を通じて、そのような肯定性を学びとりました。

正確に言い直しましょう。

不健康な資質だけが、自らを語るために、あまたの文学者の中から彼らを選びとったのです。

この肯定性に魅了されて30年あまりが過ぎ去りました。

わたしが、健康的で否定性だらけの「ブンガク」を敬遠していることは、公然の秘密であります。

 

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