思想家であり批評家である柄谷行人の思考に迫る唯一無二の評論が出版されていました。これほど喜ばしいことはないなぁ

小林敏明氏による「柄谷愛」に満ち溢れた評論集を完読。
柄谷行人の思想の軌跡を丁寧に解説されている良書だと思います。
二十代のはじめから「コウジン・カラタニ」を追っかけている者にとっては非常に納得感にあふれた内容であり、漠然としてしかとらえていなかったモヤモヤも整理することができました。
小林敏明:1948年生まれの元ライプツィヒ大学教授。専門は哲学・精神病理学。廣松渉・西田幾多郎・木村敏に大いに影響を受けている。主な著作〈主体〉のゆくえ-日本近代思想史への一視角 (講談社選書メチエ)、夏目漱石と西田幾多郎――共鳴する明治の精神 (岩波新書)
本書の目次
- 柄谷的思考
- 違和感に発する文学
- 外部というテーマ
- 日本像の転倒
- マルクス再考
- 交換システムの歴史構造
- 連帯する単独者
以下、柄谷の書く文章の魅力に絞って書き記します。
なぜ柄谷に惹かれるのか
なぜこれほどまでに信奉者が途切れることがないのでしょうか。
ある種の人たちにとって知のヒーローであるからに違いありません。
日本批評の巨人としては、小林秀雄、吉本隆明に続く唯一の存在であることは否定できないでしょう。
著者はいいます。
要するに、はっきり言って柄谷の書いたものは読んで面白いのである。

まったく同感です。実際、抜群に面白い。
物書きは筆一本で生計を立てていきます。
売文という行為は、読まれなくては、売れなくては成立しないという基本原理を柄谷はおそらく小林秀雄から継承しています。
この意味において、彼はリアリストであり、ザ・関西人(あきんど)です。
柄谷の書く文章は、その内容から整合性や合理性ばかりが強調されがちです。
けれども、評論家の福田和也氏が指摘したように、その文章の秘密は美文にあると言うことができます。
少し長くなりますが、柄谷が武田泰淳について書いた文章(歴史について)を引用します。
「書く」ことはたんに出来事を記録することではない。文字以前の社会では、出来事はたんに記憶されればよかった。それは彼らの記憶力がよかったからでも出来事がすくなかったからでもなく、出来事がたえず神話的構造に還元されてしまうからである。出来事が出来事として、もはや構造に吸収されないものとして生じたときに、はじめて「歴史」的社会になる。だが、それは出来事そのものが異なるからではなく、それを経験する者において、構造的な分裂が意識されているからである。「書く」ことは出来事を記録するために生じたのではなく、書くことによってしかこの分裂を統合できない危機から生じたのだ。
ここには、きらびやかな修飾語が散りばめられているわけでもなく、気の利いたレトリックも見当たりません。
しかしながら、この文章の塊に、あなたは「美」を感じざるを得ないはずです。
と同時に、知の水平線がくっきりと見渡せるような快感にあなたも包まれていることでしょう。
美文の魔力。
何が面白いのだろうか
彼の書く文章の面白さの源泉について、小林氏は「通説の転倒にある」と指摘します。
たとえば、
世間一般的には、人は告白すべき内容がまずあって、それを表現して相手に伝えます。

特におかしいということもないですよね。
ところが柄谷はそうではないと言います。
そもそも告白されるべき内容など存在はしない。 告白というある種の制度が出来上がって始めて、語られるべき内容が生み出されるのである。
このような発想を柄谷はします。
その発想の展開の仕方が、スリリングであり、アクロバティックであるところに、読者は強烈に惹きつけられるのでしょう。
通説をひっくり返す作業を通じて、我々が自明としている知の枠組み(ものの見方)を相対化し、解体へと至らしめるのです。
小林氏は言います。
それが彼の考える「批判」の基本スタイルであり、その転倒が読者の意表をつくものであればあるほど、知的エンターテイメントとしての魅力もまた増すのである。
筆一本で生計を立てることを選んだ者のことを我々はあるときは作家と呼び、あるときは思想家(批評家)と呼びます。
筆先から生まれる言葉には彼らの思想の悪戦苦闘ぶりがほとばしっているに違いありません。
漱石もマルクスも例外ではなかったはずです。
地に足の着いた柄谷論だから
現存する思想家であるために、遠慮や忖度による書きにくさからか、特筆すべき柄谷行人論はあまり出ていないように思われます。
そのような状況の中で、本書はとてもコンパクトに彼が何にこだわってきたのかがまとめられています。
なぜ、彼の文章は人を惹きつけるのかというポイントについても著者は的確に言い当てます。
- 読んで面白いから
- 時代と格闘した思想家であるから
おそらく、この感覚を持たない柄谷論はすべて柄谷の嫌う「戯れの批評」と堕すのでしょう。
「エンターテイナー柄谷」の導きの書として本書は最適です。

あなたもぜひ手にとって「面白い」を体感してはいかがでしょうか。
初期の論考のほうが躍動感があって好きです。

