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映画「しとやかな獣」かくもしたたかな反戦映画

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天才川島雄三の天才性が最も発揮されたブラックコメディの傑作!

大映
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映画監督でもある新藤兼人の原作・脚本を元に撮られた本作「しとやかな獣(けだもの)」は、高度経済成長の最中である1962年に公開された川島雄三監督の最晩年の作品(異質なホームドラマ)のひとつです。

今でこそ、傑作の誉高い本作ですが、公開時は批評家の評価は好意的である(1963年のキネマ旬報ベストテンで第6位)ものの、ヒット作にはほど遠い成績でした(正月の上映番組としては最下位)。

川島自身は本作を撮り終えたことによって、新たな決意に至ります。

だが「しとやかな獣」を里程標として、ここから出発しようという気が、あるのです。過酷に自分を痛めつけることが、映画にプラスするかどうか、多少疑問です。だが、僕は、この道をいかざるを得ないでしょう。人にわかる、わからない、ということではなくして、自分がみて恥ずかしいものは、これから作ってはいけないのではないか、と思います。

川島雄三

渾身の一作でありながら、団地の一室という極端な舞台設定の中で、珍妙な小悪党が繰り広げる社会的倫理観を欠いたセリフの洪水は、観客にはそれほど響かなかったようです。

  • 凝りに凝ったキャメラワーク・アングル(ハイ&ローの多用)
  • 能のお囃子と謡
  • シュールな映像
  • 意図的なシーン繋ぎの不整合

当時の観客が置いてけぼりを食った、悪びれない女を中心とした傑作群像劇の評価は、近年海外を中心に高まるばかりです。

2015年に開催された「若尾文子映画祭 青春」の舞台挨拶において、本作の主演である大女優若尾文子は次のように言っています。「160本の映画に出ていますけれど、一番難しかった。自分らしくない役で、どうしていいか分からないところが随分あった。良くなかった気がするんですよね。」「川島監督はとても自由にやらせてくださる方。ちょっと変わった映画でしょ。でも色気のある面白い映画。」しかしながら、観る側の感想は、これぞ若尾文子に適役という意見が多く、皮肉なものです。と同時に若尾の実力を期せずして証明しているのでしょう。

以下、本作について少しばかり考えたことを記します。

内容に言及しますので、あらかじめご了承下さい。

本作を初めて観た時の印象は、筒井康隆の小説が映像化されているというものでした。どちらかがどちらかの影響を受けているというのではなく、おそらくこの時代が持っていた「過剰な猥雑さ」に、才能ある者たちが的確に感応したというところでしょうか。

あらすじ

出典:角川映画
  • 三谷幸枝(若尾文子)芸能プロ経理
  • 前田時造(伊藤雄之助)元海軍中佐。詐欺一家の主人
  • 前田よしの(山岡久乃)前田時造の妻
  • 前田友子(浜田ゆう子)時造の娘。流行作家吉沢の愛人
  • 前田実(川畑愛光)時造の息子。芸能プロ営業マン
  • 吉沢駿太郎(山茶花究)流行作家
  • 香取一郎(高松英郎)芸能プロの社長
  • ピノサク(小沢昭一)所属のジャズシンガー
  • 神谷栄作(船越英二)税務署員
  • ゆき(ミヤコ蝶々)銀座のマダム

5歳の子供を持つ未亡人三谷は芸能プロダクションの経理担当であるが、自らの肉体を武器に男たちを手玉にとり、旅館経営のための軍資金を溜め込み、税務署員の神谷も抱きこむ食わせ者です。一方、二度と貧乏生活に戻りたくない前田一家は、主人の時造の指揮の下、ペテンの限りを尽くし、息子は使い込みを、娘は作家の妾となり、吉沢から返す気のない借金を重ねて、贅沢三昧の暮らしぶりです。実の使い込みをきっかけに、香取自身の帳簿のごまかしが露見しようとするなか、三谷は早々に退職、警察への出頭前の神谷の投身自殺により、破滅への階段をそれぞれが転がり落ちようとしています。

社会通念とは程遠い道徳観を持つ前田家は、決して崩壊している家族ではありません。むしろある種の強い「家族愛」を構成メンバーである両親・娘息子は持っていると言えます。このアンバランスさが、この犯罪一家の「愛嬌」を醸し出しているのでしょう。

神谷の自殺の報を受けて、慌てふためく香取に対してあくまで冷静に対処する三谷を取り巻く前田一家を描く一連のシーンは、セリフの区切りごとにカメラが切り返され、と同時に登場人物のレイアウトが全く異なる、ため息の出る演出です。特に、少女のように、観客のように、時には無邪気に首を傾げる山岡の姿形は、秀逸の一言といえます。

テーマは反戦

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人間の卑近さやエゴ、高度経済成長下の拝金主義に対する風刺といった視点から本作は特に評価されています。

色と欲に塗れた小賢しさの向こうに透けているのが本作の主題である「反戦」です。

戦争の影が完全に払拭していない世相が意図的に取り込まれています。重要人物の時造を元海軍中佐とし、ベランダの向こうには戦闘機の飛行機雲がクッキリと見て取れます。娘と息子が踊り狂う有名なシーンの背景には、血に染まったような夕焼けが広がっていますが、これが南方戦線での暮れゆく夕陽と地続きであるのは今更いうまでもないでしょう。

それまでのテンポが一転する、前半部分の、家族に対して吐き捨てる時造のセリフに、この映画の主題が露呈します。

お前たちは、またあの時のような生活がしたいのか。

雨漏りのするバラックで雑炊ばっかり食っていた生活が。

わしはもうあんな生活はゴメンだよ。

あれは人間の生活じゃないよ。

犬だって、猫だってあんな惨めじゃないよ。

あんな生活がもう一度できるもんか。

貧乏で、貧乏が骨の髄まで染み込んで、

貧乏で、貧乏で体中が汚れちまった。

あれは人間の生活じゃないよ。

このセリフを聞くと、詩人中原中也の作品「汚れつちまつた悲しみに」を直ちに想起します。

おそらく、終戦直後の一家の極貧状態の様が回想されているのでしょう。

ここで注意しなければならないのは、貧しくとも命が拾えただけで儲けものであったという「不調法な結果論」が語られているわけではない点です。

生活の貧しさが精神の荒廃に直結する「リアル」がここでは直裁的に表現されているのです。

健全な精神の息の根が止まりそうなほどの「犬猫以下の惨めさ」をもたらした戦争に対する怒りと憎悪が、ストップモーションを多用した緊迫したひと続きの画面に凝縮されています。

これこそが、川島の反戦的意思表示に他なりません。

100分に満たないフィルムの中の開始20分あたりに彼が込めたメッセージはあまりに鮮烈であり、しゃにむに神経に触るのです。

ちょい役と言っては失礼が過ぎますが、小沢昭一とミヤコ蝶々の存在感は圧倒的です。エセ日本人とごうつく婆あ。典型的人物を演じながら、オリジナリティがほと走る人物造形の力技が堪能できます。特にミヤコ蝶々はとてもチャーミングな演技です。

野生の王国

本作の登場人物たちは「食うもの」であると同時に「食われるもの」であると言えます。

食うものは常に「食い尽くす」立場にとどまれるわけではなく、食われるものに容易に転調します。

更に言うと、捕食的存在であると同時に、被捕食的存在であり、寄生的存在でもあるのです。

三谷は、金銭的には食う食われる世界(野生の王国)の頂点に君臨する存在です。

彼女は、プロダクション社長の香取を、営業マンの実を、税務署員の神谷を食い物にしますが、同時に食われる(抱かれる)立場にあります。

作家の吉沢をたらし込む友子と横領を重ねる実の上前をはねる一家の主人の時造は、実の子供たちを食い物としますが、その背後に控え、まるっきり手を汚さずに恩恵に預かる妻のよしのは、真の捕食者(寄生虫)に相応しい悪質ぶりです。

前田一家のタカリ体質にほとほと愛想が尽きた作家の吉沢がルノアールの絵画(裸婦像)を持ち帰りますが、彼が帰った後にそれが偽物であると、よしのが吐き捨てるとき、裸婦像と友子(長女)が重なってしなう錯覚にあなたも見舞われたはずです。

ケダモノの群れ

このような「野生の王国」の住人たちは、いずれもがある種の獣(ケダモノ)として描かれます。

金と色に振り回された俗物たちが、限られた空間の中で(舞台の上で)、縦横無尽に己の欲をまき散らすのです。

敗戦から高度経済成長へと向かう国民の中から新たな俗物(小悪党)が大量発生することの揶揄とも取れることでしょう。

パドー

それでは、タイトルにある「しとやかな獣」とは一体誰を指すのでしょうか?

ラストシーンの雨の中の団地の遠景はあり得ないぐらいの無機質さを醸し出しています。寂寥感といったある種の「肉感」すら拒否するその風景の肌触りは、誰の映画にも似ていません。

「しとやかな」の意味

淑やかな(しとやかな)とは、一般的には次のような意味で使用されます。

身の振る舞いや話し方が落ち着いていて上品な様を表します。

「お」をつけて使用される場合があり、特に女性の所作に対して使用される場合が多いです。

前田家のベランダからカメラが上方に移動しながら、飛び降り自殺を決意し屋上に呆然と佇む神谷に到達する一連のシーンの不気味さは想像を絶します。神谷の表情のニュアンスには息が詰まります。彼が戦後裁判にかけられた軍人と二重写しになるといえば言い過ぎでしょうか。

しとやかな獣の正体

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一般的には、三谷(若尾文子)であると指摘される場合がほとんどです。

虫も殺さないような美貌の下に、男を手玉にとり、狂わせる悪魔の顔が隠れているためでしょう。

若尾本人が持つ気品と相まって、タイトルのイメージにぴったりの人物は三谷であると自然に理解できるはずです。

その一方で、

劇中における身のこなしや言葉遣いから、時造の妻よしの(山岡久乃)とする見方も少なくありません。

興行的には若尾を前面に出さざるを得ない事情を横に退けると、ラスト近くの山岡のバストアップの衝撃力を考えるのならば、ある程度の説得力をもって納得できもします。

裏の(真の)主役に相応しい、堂々たる存在感を確かに山岡は放っていたと言い切れます。

しかしながら、

パドー

私の考えは、これらの意見と異なります。

前田夫婦こそがタイトルである「しとやかな獣」であると考えるのです。

ラスト近くの、パトカーの喧騒を耳にし、ベランダから神谷の死を知った後のよしのの複雑極まる表情は、女優山岡久乃の凄みが凝縮しています。彼の死をきっかけに警察捜査の手が一家の方にまで伸び、現在の分不相応な贅沢が、あっという間に転がり落ちる予感が彼女の表情の上に能弁に説得力を持って浮かび上がります。

大衆という名のケダモノ

本作は反戦映画であるという前提に立つとき、憎むべきは戦争それ自体であるのですが、無限の反省を求めるべき対象としての「大衆」を無視するわけにはいきません。

軍部主導のもとで戦争は開始され、拡大し、敗戦に至ったという図式はあまりにご都合主義にすぎるでしょう。

国家的行動において国民が不在という事態は不自然であり、虫がよすぎます。

積極的な介入・支持・加担がなかったとしても、黙認や肯定は「行動」と同義であるはずです。

川島的視線は、そのような偽善や欺瞞、言い逃れを決して見逃してはくれません。

本作における時造とよしのは「大衆」という存在の二面性を表徴していると言えます。

  • 時造とは、圧倒的な他責性を表しています。
  • よしのとは、暴力的な従順性を表しているのです。

時造は手を汚しません。

口先三寸で、娘や息子に我慢を強いて、危ない橋を渡らせます。

彼が口にするのは、自分は悪くないの一点張りであり、それが全てです。

たとえ実の子の不始末であったとしても、一切関知しないを貫き通します。

起こったことのまずい状況は徹頭徹尾、人様の身から出たサビに帰着すると信じて疑わないのです。

よしのも同様に手を汚しません。

この意味で、この夫婦は同型であり同種です。

時造を前面にたて、自らは奥ゆかしさの権化の如く、後方にいそいそと隠れます。

あくまで従順さを装い、一見すると自分を殺し、自我を放棄しているように見えますが、その理由は単純に時造と一心同体であるからに過ぎないからです。

反対する理由が彼女の中には存在しないのです。

時造とよしのに象徴される「大衆(大衆性)」とは、戦時下あるいは戦後において、極めて「しとやか」に映ったことでしょう。

軍部にとっても、敵国にとっても、とりわけ自分たち自身にとっても。

しかしながら、獣であったことには違いありません。

銃を持つだけが獣ではないからです。

誰の血であろうと、血が流れたのならば、己一人だけは獣ではないとは誰も言い逃れはできないのだと川島は控えめに糾弾します。

しとやかな獣とは、時造=よしのが表徴する大衆(大衆性)を指すのです。

そこには、純度の高い醜さだけが転がっています。

単なるシュールな実験的作品として捉えてしまうのならば、彼の思想性の飛躍をつかみ損ねることとなるでしょう。

歴史的傑作は、どこまでも多義的であり、観たものをどこかに連れ去ってしまいかねません。

時造とよしのは「大衆」の二つの特質であるために、区別された単体とは言えません。したがって、「獣たち」ではなく「獣」と表記されるのです。ちなみに英題は「Elegant Beast」と単数形表記のようです。

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