村上春樹と田中康夫と庄司薫の親戚のような小説世界が展開されています
新潮社の編集者で作家の松家仁之さんの3冊目の小説のタイトルは、
「優雅なのかどうか、わからない」
小説を読む喜びを思い出させてくれた興味深い作品です。
装丁には女優ミア・ファローのバストショット

センスの塊。
なによりも出だしがいい。
離婚をした。
十五年あまり住んでいた渋谷区元代々木町のマンションから出てゆくのは、妻ではなく、ぼくということになった。
この小説はこんな方向に進むんですよ、と。
この小説はこのようなテイストなんですよ、と。
冒頭の二行にて簡潔に読者への案内表示が実現されています。

わしづかみのさり気なさがハンパない。
それでは素敵小説世界をご案内します。
以下、内容に言及しますので、あらかじめご了承ください。
3人の叔父さんがいるような
作風はひとことで言うと、氷の上を滑りゆくようなライト感覚です。
似ているテイストの作家をあげるならば、
- 村上春樹の「国境の南、太陽の西」
- 田中康夫の「なんとなく、クリスタル」
- 庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」
になります。
簡単に言うと、
- 経済的に困っていない
- 自分の世界にこだわりがある
- 所有することに対する意識が高い
- 心が乾いている
このような人物が主人公の物語です。
著者は彼らの作風の後継者というよりは、
むしろ、
3人の叔父さんを持っているんだという感覚に近いと思います。
そのような距離感の小説です。
経済と小説
今から50年近く前に
田中康夫はカタログ小説と言われたベストセラーを世に送り出しました。
彼が直感的に指し示したのは、今から振り返ると、
「心理とは多分に経済に影響されている」
という経済学の常識の転用です。
心理と経済は可逆的(相互流入)であることを見抜いていたのでしょう。
このことを意識的に小説世界に導入したことに彼のオリジナリティがあります。
小説の達成のひとつが心理を縦横無尽に描き出すことにあるのならば、
田中康夫は直接的にではなく、
物質主義(資本主義的精神)を通じて間接的により鮮やかに読者の目の前に提供したと言えます。
本作「優雅なのかどうか、わからない」にも、
最初から最後まで、家自体や家の中のグッズに対するこだわりが散りばめられています。
これを連載の上での商業的お約束と言い切るのは容易いのですが、
もちろん作者はそのような仮装にてあえて踊っているふりをしているだけなのでしょう。

流石、編集者兼作家。
衣食住への愛の眼差し
本作を本作足らしめているひとつに、
衣食住へのこだわりがあります。
住まいを改造改築していくさまは、読んでいるこちらがわくわくしっぱなし。
読ませます。
できれば次回作以降は「衣」や「食」に特化した小説世界を期待します。
気分と心理

あなたもそうかもしれません。
人は自分の気分を大事にしますが他人の気分には無頓着です。
人は自分の心理には疎いですが他人の心理には注意を払います。
この小説の主人公は
かつての不倫相手と正面から向き合おうとする、今や独身貴族となった中年男です。
小説の終わりに彼は言います。
優雅なんて、もう言われたくはないんだ。
ここで描かれている優雅とは、
自分の気分と同等に他人の気分を尊重する姿勢ではありません。
自分の心理と同じくらい他人の心理に精通していることでもありません。
そうではなく、
自分の気分に嘘をつかないために、他人の気分に正直に接する。
自分の心理をより深く知るために、他人の心理に近づいていく。
そのような決意と努力を続ける行為そのものが仮に「優雅」と呼ばれているに違いありません。
関係性の構築のために
小説の普遍的テーマのひとつに「関係性の構築や強化」があります。
先の「叔父さんたち」の作品にはいずれも「テーマ」が鮮やかに描き出されていました。
本作も同様です。
圧倒的なリーダビリティに支えられ、
主題が見事に花開いています。
エレガントが何気に実現されているのです。

できれば、手にとって確かめてみてはいかがでしょうか。

