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「エンゼル・ハート」、悪魔との契約不履行はなんぴとたりとも逃れられない

投稿日:2017-04-23 更新日:

ようやく見ることができた⇒

最近ブルーレイが発売されたので、やっとみることができました。

アラン・パーカーの「エンゼル・ハート」。

というか、ミッキー・ロークの「エンゼル・ハート」。

というか、ロバート・デ・ニーロの「エンゼル・ハート」。

全盛期のミッキー・ロークの魅力満載の全開です。

刑事や探偵や殺し屋や、そのような役がぴったりの大好きな役者。

ミッキー・ローク、死に場所を追い求めた男の生き様

1987年に制作されたとはにわかに信じがたいスタイリッシュな出来栄え。

以下、内容に言及しますので予めご了承ください。

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問題作衝撃作

レビューの多くが語っているように、アラン・パーカー好きや、ミッキー・ロークファンにはたまらない作品。

キリスト教圏の人達から見れば、我々日本人とは受け止め方がぜんぜん違うんだろうなという宗教性の高い物語です。

今でこそ、グロテスクな映像は氾濫していますが、当時は衝撃を持って受けとめられたのだろうと容易に想像できます。

後半の舞台を南部に置くことで、土着性や猥雑さがむせ返るようにスクリーンに横溢します。

このテイストがハマる人にはドンピシャなのでしょう。

悪魔との契約

悪魔との契約は必ず履行されなければならず、決して例外はない。

これがこの物語の主題です。

そのことだけを113分間を使って粛々と我々の前に提示します。

恐ろしいことです。

なぜなら、命を差し出してもそれで「終わり」ではないからです。

ロバート・デ・ニーロ扮する悪魔ルイ・サイファーはこう言います。

魂は不滅であると。

取り交わされた悪魔との契約とは、欲望を実現する代わりに魂を差し出すことです。

繰り返しますが、命を差し出しそれで「終わり」ではないのです。

魂を差し出さねばならないのです。

不滅である魂を差し出すとは、悪魔とともにある意味永遠を生きるということに他なりません。

キリスト教徒にとって、これは地獄以外の何物でもないはずです。

ロバート・デ・ニーロが、卵とは魂の一種であるという意味のような言葉を吐き、ゆで卵を個性的な食べ方で口にする印象的なシーンは、それゆえに度を超えた行為と彼らには映るのでしょう。

ところで、主人公のハリー・エンゼル(ミッキー・ローク)がにわとりが嫌いな理由はこのことと地続きです。

すなわち、卵を生むにわとりは魂の一種であり、かつにわとりは卵から生まれるのであるから、やはり魂そのものと言い得ます。

魂を差し出すことを回避し続け、逃げ回る主人公が魂を連想させるにわとりを意識の上でも無意識のレベルにおいても嫌悪することは当然であり、必然であるのです。

ちなみに原作のタイトルは「堕ちた天使」。

落ちきったところにもちろん、魂の救済などありません。

なぜなら、もはや魂は悪魔とともに常にあるのだから。

 

水たまりの一滴

何かを書きたくなる仕掛け満載の映画です。

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