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ベルクソンの「創造的進化」とは春の小川であろうか

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ノートを取りながらの読書

創造的進化 (ちくま学芸文庫)

一頃、ノートをとりながら頁をゆるりとくっていた時期がありました。

大昔のことです。

最初は、スピノザの『エチカ』でした。

二度目は、ドゥルーズの『ニーチェと哲学』。

リズムが出てきた三冊目が、ベルグソンの『創造的進化』に取り掛かりました。

ああ懐かしい。




創造的進化

衆知の通り、哲学史とはギリシア=ゲルマンをその正統とし中道とします。

そのなかにあって一目も二目も置かれるフランス人はベルクソンをおいて他にはありません。

『時間と自由』。『物質と記憶』。『創造的進化』。『宗教と道徳の二源泉』。

どの一冊をとっても、ドイツの生硬な哲学とはまるで違う印象を読者に与えます。




喩えていうならば

印象を喩えます。

目の前に小川があるとしましょう。

その涼やかな流れをキャッチしてみたいとあなたは思いました。

もちろん、そんなことができるはずがないことを「おとな」なら誰もが分かっているはずです。

あなた自身も。

しかしながら、「こども」は違います。

彼(彼女)はその流れをじぶんのものにしようと身をかがめ両手を水の中に差し入れるのです。

そのようにして「ながれ」をてのひらの上に掬いとろうと何度もこころみます。

飽きもせず、何度でも何度でも。

喜々として、嬌声がワルツします。

これとまったく同じことを、ベルクソンは息を引き取るまでやり続けたのです。

淀みや鏡面は、はなから相手にはしませんでした。

この哲学者は最期の最後まで「うごき」をアリノママに見定めようと思索を生きぬいたのです。

その思考に触れれば知の波を震わされ、このうえもなく気持ちがすっきりとしてくるはずです。

赤頭巾ちゃん気をつけて

赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)

ところで、サリンジャーなみの隠遁作家、庄司薫は『赤頭巾ちゃん気をつけて』のなかで主人公に次のように謂わせています。

「知性というものは、すごく自由でしなやかで、どこまでもどこまでものびやかに豊かに広がっていくもので、そしてとんだりはねたりふざけたり突進したり立ちどまったり、でも結局はなんか大きな大きなやさしさみたいなもの、そしてそのやさしさを支える限りない強さみたいなものを目指してゆくものじゃないか……」

 アンリの著作にはこの「やさしさ」と「強さ」がしずかにそしてゆたかにとうとうとながれているのです。

一度、ぜひ、春の小川のせせらぎを体感してみてください。

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