帰ってきた男
ミッキー・ロークは、2008年、「レスラー」にて復活を遂げました。
世界中で50を超える映画賞に輝いたこの作品は、ミッキー・ローク自身の役者人生と二重写しになり、多くの映画関係者から好意的な評価を得ることとなったのです。
特に、プロレス好きにはたまらない作品であり、男泣きも続出。
最大の当たり役となりました
ドラゴンの年
私がミッキー・ロークをスクリーンでみたのは、1985年に制作されたマイケル・チミノの「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」でした。
ベトナム戦争帰りのニュヨーク市警の一匹狼対若きチャイニーズマフィアの首領との死闘を描いたこの映画は、当時、強烈な印象を見る者に与えました。
私も、痺れてしまった一人です。
破滅の王
「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」において、主人公は、自暴自棄すれすれのところで、自らの信じる正義を貫こうとします。
程々にうまくやっていくということが、あらかじめ奪い去られているかのように、極端な道を突き進みます。
その結果、彼に関わる多くの人間が、不幸になります。
しかしながら、彼は躊躇することなく、前進を止めません。
目的のために手段を選ばないその姿勢は、恐ろしいまでに徹底しています。
戦争で死に損なったものの目的は、たったひとつしかありません。
自らの死に場所を見つけることです。
リングという名の死に場所
「レスラー」においてもまた、主人公は最低野郎です。
娘との壊れた関係を修復しようと努力を重ねますが、肝心なところで最低な行為により、彼女との約束を破ります。
様々なしがらみの中、長年の不摂生、薬物投与のお陰で満身創痍にもかかわらず、まさに命をかけて、おそらく最後のマッチ(ショー)に臨みます。
たかが記念試合にも関わらず、彼は死力を尽くそうとします。
なぜなら、リングの上でしか生きることができないから。
なぜなら、自らの死に場所はリングの上のほかには、ないのだから。
不器用者の美学
ドラゴンの年から二十年あまり。
ミッキー・ローク演じる主人公はまたしても、死に場所を見つけるためにさまよい続けることになりました。
少なくない年月が経ち、そこにはもう派手な銃撃戦も多くの血も流れはしません。
けれども、スクリーンに映るその姿は痛々しいほどに我々に迫ってきます。
自己中心、自暴自棄、自己弁護、自業自得。
勝手にしやがれと言いたくなるほどの、ダメっぷりです。
だからこそ、そこに我々は無視し難い魅力を見てしまいます。
彼を超える「憎みきれないろくでなし」は、もう出てこないのかもしれません。