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TVアニメ「ピンポン」これほど優れた原作の解釈にお目にかかったことがない

投稿日:2017-10-29 更新日:

 

TVアニメ「ピンポン」はとびきり優れた解釈であった⇒

漫画「ピンポン」は名作です。今作品が持つ豊穣さをTVアニメ版は見事に継承しています。それどころか新しい解釈を施し、見る者により深く作品を理解させることに成功しています。才能にとって大事なことは「愛」であることを見事に切り取り、あなたの前に差し出すことでしょう。

NetflixにてTVアニメ「ピンポン」を今しがた見終えました。

おすすめ度:

原作は松本大洋氏の1996−7年の漫画となります。

おすすめ度:

2002年に映画化され、TVアニメは2014年に放映されたそうです。

おすすめ度:

原作や映画を見てある程度わかったつもりになっていました。

が、今回TVアニメを見終えて、考えさせられるところがたくさんありました。

新キャラクターを登場させ、原作特有の詩的表現を私たちにもわかりやすく論理的に構成し直しています。

なので、ある意味スッキリとストンと腑に落ちました。

シリーズを通じて非常に優れた解釈がなされています。

あなたがどのような理解の翼を広げようとそれは本来的には自由です。

優れた解釈は一段高い理解へとあなたを連れていってくれるはずです。

以下は作品「ピンポン」をすでに知っていることを前提に書き進めていきます。

 

TVアニメの各話のタイトル

シリーズ全11話のタイトルは次の通りです。

  1. 風の音がジャマをしている
  2. スマイルはロボット
  3. 卓球に人生かけるなんて気味が悪い
  4. 絶対に負けない唯一の方法は闘わないことだ
  5. どこで間違えた?
  6. おまえ誰より卓球好きじゃんよ!!
  7. イエスマイコーチ
  8. ヒーロー見参
  9. 少し泣く
  10. ヒーローなのだろうが!!
  11. 血は鉄の味がする
特別じゃない
「血は鉄の味がする」というセリフが頻出します。見るものを一足飛びに子供時代に連れ去るマジックワードの一つです。が、別の意味も帯びています。鉄面皮であり鉄でできたロボットのようなスマイルに対してペコがしきりに口にすることに注目しましょう。スマイルをロボットと冷かす周りの学童どもの体の中には人間の証明として血が流れています。その人間を人間たらしめる血は鉄の味がするのです。このことにより人間とロボットの境界が融解していることが語られています。つまり、スマイルお前はロボットとして孤立する理由などないのだとメッセージが放たれていると理解できるのです。

才能の物語

この作品は才能をめぐる物語です。

才能ある者の憂鬱・不幸・恐怖・栄光・悲嘆。

才能なき者の苦悩・諦念・挫折・悲惨・逃避。

これでもかというほどオンパレードします。

このアニメを見るまで次のような解釈をしていました。

才能ある者同士の優劣が決するときは、人生を賭して向き合っている対象を楽しんでいる者が頭一つ抜けることができる。

好きこそものの上手なれなんだよ、と。

楽しんだ者勝ちなのだよ、と。

どうやら違っていたようです。

精魂傾ける対象を愛する者だけが才能の神様に愛される資格を得る。

愛がテーマであったということです。

主人公のペコと田村卓球場のオババだけが「愛している」を口にしていることの意味を取り逃がしていました。

3人の才能ある者ども

この物語は3人の主人公に託して、才能の現れ方を3つの様態で示しています。

  • スマイル(月本誠)
  • ドラゴン(風間竜一)
  • ペコ(星野裕)

負けないこと、勝ち続けること、第三の道となります。

3人とも選ばれた人間であるゆえに無類の強さを見せつけます。

スマイルは負けることに無痛であるという強さを持しています。

負けることに対する恐怖や不安とは絶対的に無縁です。

ゆえに彼と戦う相手はマシーンを前にした絶望感から自滅していきます。

ドラゴンは勝つことを宿命と信じ込む強さを持っています。

試合前の緊張や不安から便所に一人閉じこもる精神統一を高める儀式もなにか毎度のルーティンの一環のようです。

圧倒的な練習量と人生のすべてを犠牲にして勝利に捧げてしまう卓球の権化です。

どちらもある意味、勝負にこだわっています。

勝負という磁場から自由ではありません。

ドラゴンは常勝に執着し、スマイルは不敗を追求します。

卓球とピンポン
卓球は英語表記では御存知の通りPing-pongとなります。日本語でピンポンと言うとなにか遊戯的な要素が強くなり、軽いイメージとなりがちです。本作は卓球に求道的な意味が込められる一方で、ピンポンに自由の意味合いが強く込められているかのようです。一筋縄ではいかない「軽やかさ」が語感の上でも表現されているのでしょう。

決定的な違い

では星野の強さはどこにあるのでしょうか?

星野(ペコ)の強さはピンポンを愛しぬけるところにあります。

ピンポンを愛していることを自覚したとき、彼の中の才能のリミッターは限定解除されます。

好きだから強くなり、勝つからますます好きになったという才能の浪費や拡散の時代を経て、星野は愛に目覚めます。

ドラゴンにとって卓球は苦痛以外の何物でもありません。

自分の家族の地位や自分自身の存在証明のために卓球を利用している、すがっているだけなのです。

そこにはもちろん「愛」はありません。

スマイルにとって卓球は星野が好きだから選択したという代替可能物に過ぎません。

虚無的な性格を有する者にとっては暇つぶしの最たるものでしかないのです。

そこにももちろん「愛」はありません。

彼ら二人にあるのは一種の自己愛だけです。

そこには「愛」は不在です。

彼らにとっては「卓球」でなくてもいいのです。

正確に言うと「愛」の対象であるヒーローを希求するのです。

ピンポンそれ自体ではなくヒーローを待ち続けているのです。

スマイルが待ち続けていることは物語の構成上不可欠な要素なので、ここは誰もが容易に理解します。

が、ドラゴンもそうであると明示したのはTVアニメのこの作品だけです。

優れた解釈の所以です。

彼らには愛しぬく対象である「ピンポン」をいまだ見つけることができていません。

ペコは違います。

ペコはピンポンでないとダメなんです。

ピンポンでなければ「愛」は成立しないのです。

この違いは決定的です。

才能の世界において別次元に飛ぶためには愛が不可欠なのだ。

TVアニメ「ピンポン」は教えてくれます。

何のために、誰のために、

「なんのために(誰にために)卓球をやっているのか?」

決定的な場面で少なくない人物が問いを投げかけます。

  • 自分ために
  • チームのために
  • 勝利のために
  • 貧乏から抜け出すために
  • 認められたいために
  • 国のために
  • 名誉のために

正解はありません。

が、これらの答えのなかに星野の答えはありません。

何のためにもやっていません。

誰のためにもやっていません。

愛しているからやっているのです。

才能があろうがなかろうが陥ってしまう場所とペコは無縁です。

ゆえに才能の神様に愛されるのです。

ゆえに勝利の女神が微笑むのです。

無媒介的に対象に愛を注ぎ込むことのできうる者だけが才能の扉が次から次に開いていくのでしょう。

このような視点であらためて各話のタイトルを眺めてみると、緻密にシリーズを構成したスタッフの叡智が見て取れます。

いやいや感服しました。

機会があれば、是非じっくりと御覧ください。

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パドー1000

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