2018年の大ヒット娯楽映画「カメラを止めるな!」はなぜここまで爆発的に多くの人々に受け入れられたのでしょうか?
ご覧になられた方も多い2018年の日本映画界最大の収穫と言われている上田慎一郎監督作品。
公開時のキャッチフレーズは「最後まで席を立つな。この映画は二度はじまる。」
このコピーの通り、この映画は2本の独立した映画が入れ子状に組み込まれている複合的な作品です。
あたかもマトリョーシカのように。
基本的構造は次のとおりです。
- ゾンビ映画を撮影中に本物のゾンビに襲われるというホラー映画
- 映画の制作過程を通じて描き出されるヒューマンストーリー
じわじわと人気に火がつき、口コミが口コミを呼び、前代未聞のロングラン上映となりました。
圧倒的に受け入れられたその要因は次の2つであると考えます。
- 現代は誰もが表現者(発信者)である時代であるから
- 作り手の苦悩と喜びに満ち溢れた作品であるから
共感が共感を呼んだのでしょう。
以下、内容に言及しますのであらかじめご了承ください。
冒頭の37分間のワンカットで撮られるゾンビサバイバルシーンは確実に世界の流行を意識して撮影されたものです。直ちに思い出されるのは、アカデミー賞を受賞した2014年の「バードマンあるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」でしょう。「バードマン」は1回の長回しで撮影されたと思わせる高度な技術が駆使されていますが、作品の狙いは同じです。直近の同種の作品には「ウトヤ島、7月22日」があります。
表現者の時代、発信者の時代
今日、SNSを利用していない人はいません。
フェイスブック・ツイッター・インスタグラム・ユーチューブ・ライン・はてな・タンブラーなどなど。
誰もが発信者、すなわち表現者であることが当たり前である世の中が実現されています。
私的領域をテキストとして、映像として、好きなタイミンで好きなだけ、誰もが発信し続けています。
- もっと多くの人に届けたい。
- もっとうまく気持ちを伝えたい。
- 目立ちたい、バズりたい、お金がほしい。
様々な動機に基づき、「作品」が生まれます。
たくさんの人びとが閲覧する場合もあれば、思うようにPVが稼げないときもあります。
表現することの苦悩と喜びをアーティストでもない普通の人々がリアルに毎日毎日実感しているのです。
作り手の苦悩、作り手の喜びを誰もが容易に理解する時代
本作品に対して映画監督の本広克行氏(踊る大捜査線)は次のように公式サイトにおいてコメントを寄せています。
面白い!傑作だから見逃すな!!
って、なぜそう思ったかというと
よくあるゾンビ映画かと思っていると展開にやられる。
役者の匿名性や芝居の優劣が進行を予期できない。
物語は構造であると言う事をしっかり証明している。
そして、とてもとても映画愛に満ちているからだ。
映画関係者であれば、この作品がどれほど「関係者」に愛されているのかは自明であるはずです。
それほどにスクリーン上に映画愛が溢れています。
劇中劇のゾンビ映画においては狂信的暴君ぶりを遺憾なく発揮する監督は、実際の撮影においては自分の意見を飲み込みがちな慎み深い性格を有しています。しかしながら、ライブ中継(同時撮影)の最後にプロデューサーの妥協案を断固はねつけ、自らの作品の作品性を確保すべく主張します。生身の彼がゾンビを演じる彼にシンクロする瞬間です。本作は、このように入れ子構造をそこかしこでスクリーン上に再現するスタイリッシュな演出を連発しています。
ところで、
多くの人々は映画関係者ではなく、ただの観客です。
観客のひとりであるあなたは、なぜだかわからないままに「映画愛」を感じたはずです。
なぜ感じたのでしょうか?
あなた自身にも答えはわかっていますよね。
なぜなら、あなたも表現者であり、発信者であるからです。
ものを作り上げることの苦悩にまみれ、喜びに打ち震えた経験を持つからです。
たとえば、あなたが
YouTuberであるならば、
Bloggerであるのならば、
全編を通じて膝を打って共感したことでしょう。
構成の緻密さに誰よりも舌を巻き、入念なリハーサルを容易に想像したのは、
まぎれもなくあなた自身です。
映画愛があふれる
わたしはこの映画を見終わって、ある作品を直ちに思い出しました。
細野不二彦氏の傑作「あどりぶシネ倶楽部」です。
大学の映画サークルを通じて、青春の1ページが切り取られているマスターピースです。
そこでは、映画を作ることの「想い」がこれでもかと描かれています。
その中の「ミッドナイト・エクスプレス」と題された一章につぎのようなセリフがあります。
ただ、これだけは言わせてちょうだい。私たちが作っているのは「映画」であって「映画の記録じゃない」。
これは、あれもこれも大事なシーンだと言い張り、ワンカット・ワンカット手塩にかけて撮影したフィルムだから削れないと拒否するスタッフに対して、作品として成立させるためには「編集」が必要であると4時間あまりの尺を70分に収めるようにプロデューサーに説得される場面で放たれたセリフです。
「カメラを止めるな!」においては、映画を巡るこのような「想い」が逆説的にフィルムに刻みつけられています。
映画の記録を撮ることそれ自体を映画作品として成立させてしまい、紛れもなくそこには映画を作ることの喜びと困難が溢れかえっているのです。
実に見事な構成と演出。
これを奇跡と言わずしてなんと言えばいいのでしょうか。
「カメラを止めるな!」の中で、最もゾンビ的な人物は文句なく監督の奥さんであると言えます。良妻賢母の典型のような普段は控えめな彼女は女優なのですが(休業中)、今回も役に入り込みすぎたために、台本も演出も無視して暴走を始めます。とても魅力的人物造形です。
タイトルに込められたメッセージ
「カメラを止めるな!」というタイトルにはたくさんの意味が込められているのでしょう。
「カメラを撮る」という行為を「表現する」と理解するのならば、
- 誰もが表現者である時代の狂騒ぶりを批評しています
- 表現することの自由を行使せよと扇動しています
- 表現者は狂気をもってこそ傑作を生み出せるのだと制作する自分たち自身を鼓舞しています
同時代性を十二分に持ちえた本作は当然の帰結のように圧倒的な支持を世間から得ました。
見逃してはいけないのは、日本の文脈のみではなく、世界で共感を得た事実です。
現代ほど「共感」が表舞台に出た時代もないでしょう。
SNSとは、言うまでもなく、共感発動装置にほかなりません。
- 現代は誰もが表現者(発信者)である時代であるから
- 作り手の苦悩と喜びに満ち溢れた作品であるから
ある意味、本作はSNSの一種であると言えます。
ゆえに、もっとも同時代的な映画であったのです。
本作が大ヒットするのは必然だったのでしょう。
ラストシーンはやはり反則です。物語の回収作業が鮮やかに実現しています。あざとくない演出であるところがこの監督の力量なのでしょう。どこまでも計算しつくされたクレバーな監督さんです。とにかく凄い。