佐藤浩市の代表作がまたひとつ完成した
重厚な原作を活かしきった大作です。
複雑に張り巡らされた伏線を器用に回収するその手際は秀逸です。
現代日本映画を支えてきた俳優人の競演が見所となります。
永瀬正敏、三浦友和、緒形直人、吉岡秀隆ほか多数。
主役を張ってきた俳優陣が脇をがっちり固めます。
前編・後編の4時間あまり。

わたしは福岡出張の往復時に、JAL機内で堪能しました。
アマゾンプライムを利用すれば今なら無料で見れます。
以下、内容に言及しますのであらかじめご了承ください。
昭和の最後の影
「64(ロクヨン)」とは、たった7日間しかなかった昭和64年に起こった誘拐事件に対して付けられた符丁です。
録音操作ミスにより犯人を特定できないまま事件は時効まであと一年を迎えます。
物語は「64」との折り合いをどうしてもつけられず現在に至る関係者の生き様を謳い上げます。
本作は導入のスピーディーさが出色です。全くもたもたしていません。かつ端折っている感じも極力排除されています。素晴らしい物語とは導入部において実に鮮やかにその物語の内容と方向性を明示します。ゆえに導入部は短ければ短いほどいいのです。私の知る限り、最高の導入を実現しているのは「千と千尋の神隠し」です。これほどスタイリッシュで合理性に富んだ「物語の始まり」にいまだかつて出会ったことはありません。
目と耳
演出上、誘拐犯である犯人は決して姿を現しません。
見えない敵に捜査員も家族も振り回されます。
犯人は身代金の受け渡し場所を次から次に変更し、捜査員たちを切りきり舞いさせます。
指定場所(喫茶店ほか)へ電話をかけ次の場所(喫茶店ほか)を指定するを、繰り返します。
身代金は周到に用意された方法により闇に消えます。
唯一の手がかりであった脅迫電話の録音をあろうことか捜査班は手違いにより失敗します。
捜査は暗礁に乗り上げ、迷宮入りとなります。
被害者の両親の声はどこにも届きません。
が、手がかりの細い糸はまったく切れているというわけではなかったのです。
誘拐された少女の父親は犯人の声を忘れてはいなかった。
忘れるはずがありません。
事件発生から14年間、彼はある方法により犯人にたどり着くことになります。
執念の権化です。
声の力
本作はそのテーマからか、怒号と慟哭が随所にみられます。
- 記者クラブの憤り、要求、不信。
- 警察内部における軋轢、争い、面子。
- 問題を抱える家族間での葛藤、愛憎、絶望。
- 追うものと追われるものの衝突、責務、感情。
それは時として過剰な演出に流れる場合があるものの、全体としては非常に効果的でありかつ印象的です。
感情を音声で表現しようとする意欲が正面からみてとれます。
ともすれば、視覚効果で押し切る演出が多いなか、得難い演出です。
俳優の力を信じ切った監督の懐の広さと深さがうかがえます。
私的な昭和64年
個人的なことを言えば、昭和64年当時わたしは大学生でした。
昼過ぎに近くのスーパーに食材を買いに行き、すぐには気が付かなかったのですが、しばらくして違和感を覚えました。
店内に音楽が、放送がまったく流れていないのです。
当時、TVにも新聞にも接しない私は「崩御」を知りませんでした。
それから間もなくして、下宿先の共同電話にバイト先から連絡が入ります(一軒家を数人でシェアしていたので、共同の電話が設置されていました)。
可能であれば今からシフトに入ってくれないだろうか。
店長からの要請にわかりましたと答え、バイト先のコンビニエンスストアに出向きました。
違和感は増幅されます。
ここでも店内から音楽が、放送が抜け落ちていたのです。
店長から事情を聞き、ようやく事の次第が理解できました。
それが私にとっての昭和の終わり=平成のはじまりでした。
昭和からの脱出
当時の「無音」を知っている者からすると、この作品がなぜ「音」にこだわっているのかが非常によくわかります。
最愛の子供の声をもう二度と聞くことのできない父親は犯人の声を決して忘れはしません。
父親は14年間を大きな声を上げることもなく、黙って一人で追っていたのです。
声を奪った声を。
遺族の声なき声(慟哭)に最後の最後、主人公である刑事は共鳴します。
警察組織の巨大な官僚機構に対して声を上げ、犯人に拳を振り上げます。
自らの心の声に従い、静かに自分が戦ってきた場所を去っていきます。
誇りとしていた警察(=自分)に主人公は別れを告げるのです。
実は主人公の刑事にも娘はいます。
が、彼ら夫婦のもとには今はいません。
父親との諍いの果てに何も言わずに家を出ました。
家出をして行方不明になっている娘から、かつて「自分を守りたいだけだ」と罵られた過去を彼は持ちます。
「けじめ」をつけるために彼は職を辞したのです。
妻とともに娘を見つける人生をこれから歩むことを決意します。
娘の声を再び聞いたときにはじめて、彼の「昭和」が終わるのかもしれません。
傑作です。機会があればぜひ御覧ください。

