Worksを読んで考えたこと
リクルートワークス研究所が発行している「Works」という季刊誌(隔月刊)をご存知でしょうか。
人事関係者なら会社で定期購読しているかもしれませんね。
勉強になることが多く、毎号楽しみにしています。
2017年4−5月号は「正社員ゼロという選択」となります。
非常に興味深い特集。
無限定な正社員とは
正社員中心の日本型雇用システムに代わるこれからの働き方のモデルが提唱されています。
ここで言われている正社員をゼロにするとは、無限定の正社員をゼロにするという意味のようです。
なぜ正社員をゼロにすべきなのか
現在、社会、企業、個人の各々においてニーズがあるからです。
そのニーズとは次のとおりです。
- 社会»» 多くの人にできるだけ高齢まで働いてもらいたい
- 企業»» 必要な能力を持った人材を必要はときに確保したい
- 個人»» 無限定に働く正社員ではない、ほかの選択肢がほしい
これらのニーズを解決するための総合的な提言が正社員をゼロにするというものです。
なにが問題なのか
これらのニーズは現実に横たわる問題に対する要請であるはずです。
その根本には労働力、特に若年労働力が将来にわたり有効に確保できない労働力減少の暗い先行きがあげられます。
この大問題を背景に次の三点の懸念が現状広がりつつあると本書は指摘します。
- 無限定な働き方をせざるをえない正社員の多くが疲労感を持っていること
- 正社員を中心に設計されている社会であるにもかかわらず、非正規雇用が増加し、制度設計に限界がきていること
- 極めて解雇しにくい長期雇用慣行のもとでは、能力が陳腐化する社員であっても雇用し続けなければならず、少なくとも企業において雇用保蔵の問題が生じていること
どれもこれも一筋縄ではいかないものばかりです。
9つの提言
以上のような極めて深刻な状況の打開策として以下の9つの提言がなされます。
- 雇用契約の期間は最長20年とせよ
- すべての人を職務限定とせよ
- 採用はローカルから始めよ
- 転勤を廃止せよ
- 副業禁止を禁止せよ
- 職業能力を可視化せよ
- テクノロジーの力で人をつまらない仕事から解放せよ
- ベーシックインカムを導入せよ
- プロフェッショナル教育機関を充実させよ
実現可能か否か、早期実現可能か否かを問わず、前進するための一つの答えがここにはあります。
実現のための論点
そして、実現のための論点として以下の8点が問題提起されます。
- 雇用契約期間に関する法改正は可能か
- 最長20年契約は人材マネジメントの視点で妥当か
- 企業及び社会全体で職業能力を可視化することは可能か
- マネージャーの権限を拡大することは可能か
- 地方に人や企業を惹きつけられるか
- テクノロジーとの協働によって多くの人の仕事を進化させられるか
- ベーシックインカムは人々のチャレンジ意欲を高められるか
- 高等教育機関でのプロフェッショナル教育は可能か
いずれもが実現可能性が十分に模索されている論点といいえます。
想定される未来とは
想定される働き方の未来はある意味「実力主義の徹底」です。
その思想の根底にあるのは、ひとは誰もが自分の好きなように働きたい、です。
ここで疑問がわきます。
- すべての人が成長を願っいるわけではない
- すべての人が働くという行為に積極的に意味や意義、やりがい生きがいを見出しているわけではない
人生観の中で労働的価値観が多くを占めない個人は、古今東西少なくない数存在してきたはずですし、これからもそうなのでしょう。
今の会社での地位、世間から見た生活水準など、われわれはポジションに敏感であり、そこから脱落しないように腐心します。
ポジションとはシステムや集団において決して固定的な、絶対的なものではありません。
そこには他者を含めた外部環境の絶え間ないプレッシャーが寄せては返します。
表面上は穏やかであっても、潜在的な椅子取りゲームは常に行われているのです。
そのなかで、「動的平衡」が維持確保され、スタティックの様相を帯びることとなります。
本書で言われているように、「し続ける」ことを第一義に求められる社会が目指されることではあるのでしょう。
いつまでも働ける社会とはいつまでも「し続け」なければならない社会という意味です。
逆に言うと「し続けない」のであれば、そこで働けなくなるということになりかねません。
当たり前といえば当たり前であるが、相当に「きつい」ことになることは確かです。
能力の陳腐化との戦いは並大抵でなく、努力と才能を総動員する必要が早晩来ることでしょう。
才能の限界に突き飛ばされそうになるとき、ひとは確かに「才能」にすがるしかないのかもしれない。
そう、諦めるという才能に。
来るべき未来が、想像以上に楽しいのか苦しいのかは、無責任な発言となるが、受け止める側の気持ち一つと言わざるをえません。
労働の分野において「上がり」がない時代に突入しつつあるということなのでしょう。