ノー残業デー否定論者は意外と多いです
ノー残業デーを頭ごなしに否定する従業員は少なくありません。
- その日以外の日が忙しくなるだけだ
- 忙しすぎてできるわけがない
- 早く帰ってもやることがない
- 自分のペースでやらせてよ
できない理由、やりたくない理由が、湯水のようにあふれだします。
本当にできないの?意味がないのかな?
ノー残業デーの狙いとは
企業がノー残業デーを実施する意図はいくつかあります。
代表的なのは次の5点でしょうか。
- 総労働時間を削減する方法のひとつとして
- 光熱費等の経費節減対策として
- 従業員への健康配慮の一環として
- ワークライフバランスの実践として
- 業務改善の一環として
これらのうち最後の「業務改善の一環として」が丁寧な説明をしないと、従業員にはぴんと来ないようです。
ノー残業デーの実施方法について
ノー残業デーの実施方法は、毎週決まった曜日に定時に一斉帰宅させることを原則としている会社が多いと聞きます。
例外のないルールはないので、緊急の用件がある場合は上長の許可をとって、仕事を続けてもよいとする会社もあります。
これを認めてしまうと、あとはなし崩し的に守られなくなるので、厳格な運用を実施し、従業員から不評を買っている会社も少なくありません。
このような弊害を避けるために、曜日を特に定めずに各自のタイミングで週に1回以上とする企業もあります。
曜日を指定するよりもこちらの方が実現可能性は高いでしょう。
当社も、自分のタイミングで週に一回以上実施するように働きかけています。
実際の効果はどうだったのか
ノー残業デーを実施してから、帰りやすくなったと言う従業員からの声を当社はよく聞きます。
このような声をいくつか聞くと、狙いのひとつは一定程度果たせたのかなと思います。
労働時間が長くなる傾向として、職場における帰りにくさがあげられます。
特になにかいやみを言われるとか、あからさまに帰宅を止められたとか、そのような経験はないが、雰囲気として帰りづらいは、往々にしてあるものです。
会社が公式に定時に帰りましょうと背中を押すことで、そのような雰囲気が薄れ、もしくは払拭され、心理的抵抗感を感じなくなったというのは、前進であると考えます。
このような毎週の積み重ねが、職場風土の地道な改善に繋がっていくのでしょう。
帰りやすくなったという声をよく聞きます。雰囲気って想像以上に大きいいものです。
業務改善の一環として
ノー残業デーを無意味だと断じる意見のひとつとして、その日はいいが結果としてその日の前後やその週に残業が増えてしまうので、結局同じではないかという意見があります。
実際、その通りであるし、そのような場合もあるでしょう、言いたいことはよくわかる。
実施によって、仕事のやり方のメリハリが強制的につけられることとなります。
これが狙いであり、これがスタートです。
恒常的に、慢性的に、仕事が毎日だらだらと継続しているその流れを一旦断ち切ることが目的の第一歩なのです。
その事実により、定時に帰ることができるのだと実感できるはずです。
そうすれば、心理的抵抗が一段弱まります。
定時に帰ったその日は、当然に今までよりも自分の時間が確保されます。
その味を知ってもらうのです。
知ってしまえば、また味わおうとするものです。
味をしめ始めます。
これが、第二歩です。
早く帰ることができた事実と早く帰ることのメリットを理解し、メリハリのついた仕事の進め方へと自らシフトチェンジしていきます。
強い内的動機にしたがって。
もちろん、残業がまったくなくなるわけではありません。
定時に帰れる日もあれば、残業をしなければならない日もある。
仕事をする限り、これはフツーのことです。
たとえば、ノー残業デーの実施の前後において、一週間のうちの総残業時間が同じであったとしても、中味が違うのです。
残業にコントロールされていた状態から残業をコントロールする状態に、移行しています。
これは業務改善以外のなにものでもありません。
このようなメリハリのついた働き方から業務改善を徹底し、総労働時間・総残業時間を削減していくのには、そんなに遠いことではないのです。
継続の果てに見えてくるもの
ノー残業デーを実施していくと、どの部署ができないのか、誰が難しいのかが、あぶりだされます。
だれもがうすうす感じていたことが、見える化されるのです。
残酷な事実というやつです。
その結果に基づき、
それが個人の能力の問題なのか、はたまた構造的に取り組まねばならないのかどうかを検証していくことができます。
ノー残業デーの実施により、いろいろなことが改善されていくはずです。