面接に関して勘違いしている学生は意外と多いです
説明会のあとに希望者からの質問をよく受けるようになりました。
時間の許す限り、こちらが答えられる範囲でお話をします。
1時間近くいろいろな話をすることも珍しくありません。
大いに活用、利用してもらって「なんぼ」だと思っているので。
その中で、やはり誤解をしている学生が多いので以下にご説明します。
面接における凄い体験幻想のことです?!
面接に対する苦手意識が半端ない
この時期、まだまだ面接回数が少ないので、もしくはやったことがないので不安が膨らんでいる様子。
そのなかで、今年も次のような質問があとを絶ちません。
面接の内容に自信がないのでうまくしゃべれないんです
集団面接で隣の方がすごく優秀な実績を披露していたので圧倒されたものですから
これだという経験がないんです
決定的に勘違いされています。
我々は基本、凡庸な人生を送っているものです
多くの学生は、秀でた経験や実績と無縁に学生生活を送っています。
甲子園で優勝しましたとか、数学オリンピックで入賞しましたとか、世界一周してきましたとか、まあありません。
大部分の学生がそのような「華やかさ」と無関係であることは企業は百も承知です。
面接の合否が、話される内容の希少性にあるのならば、ほとんど全ての学生は不合格のはずです。
面接する側の人事の多くが平凡な学生生活を送ってきているので心配ありません。
わたしもそうでした(大きな声で言うことではないですが)。
誇らしげに口にできる経験・実績がないからと言って口ごもる必要は全くありません。
素晴らしい実績は評価されますが、そのようなところで殆どの学生は勝負をすることを求められていません。
過剰に過敏に意識する必要性は微塵もないのです。
では、なにが問われているのでしょうか?
内容と形式に注目する
内容の高低差が決定的ではないのであれば、形式が必然的に問われます。
形式とはこの場合、次のことを意味します。
- どのような語彙が使用されているのか
- 論旨は明瞭に表現されているのか
- 論理的に組み立てられているのか
- 一本調子ではなく、緩急やメリハリがある話しぶりであるのか
- 的確かつ適切な表現が選択されているのか
- 伝える力に満ちあふれているのか
- イキイキと話が展開されているのか
要するに、
コミュニケーションの過程において「その人自身」がにじみ出ていると受け手に感じられるのかどうかが問われているのです。
内容にではなく形式にあなた自身が反映されると思ってください。
面接の意義とはなんだろうか
思い出してください。
なぜ面接をするのでしょうか?
面接でのやり取りを通して、あなたの人となりを把握したいからです。
それ以上でも以下でもありません。
極論すれば、内容はほとんどどうでもいいのです
多くの人はエピソードにその人らしさがでるといいます。
限られた時間と質問のなかで、気の利いたエピソードを伝える機会などそうそうありません。
内容は題材であり、きっかけに過ぎません。
ある体験を述べる際に、あなたらしさが出ていないと、何も伝わらないことと同義になってしまいます。
ほんとですよ。
よく質問は事実を述べさせるような質問を心がけるようにと記載されている人事向けの書籍を目にします。そう感じた、そう思ったでは客観性に乏しく、事実を述べさせることで「そのひとの人柄や能力」を測るアプローチが可能となるというのです。
一理あります。でも、限定的ですね。
表現された内容ではなく、その形式(表現のかたち)により多くのそのひとらしさがにじみ出て、こぼれ落ちるものです。
凄い体験を持っているのならば、それを効果的に大いに語ってみるべきでしょう。
もちろん、そのような体験がなくても下を向く必要はありません。
むしろ、何気ない日常のエピソードについて、「あなた独自の表現」がなされているのであれば、確実に面接官には届いています。
そう、あなた自身が。