マルクスはAIによる労働疎外を語れるのだろうか?
明治学院大学教授の稲葉振一郎氏は言います。
この本は「AI時代の労働の哲学」と銘打つくらいですから、人工知能技術の発展と、それが私たちの「労働」に対して及ぼすだろうインパクトについて論じていきます。
経済学や社会学の知見も利用しながら考察されます。
議論全体の基調は次の通りとなります。
議論全体の基調としては「「AI」だの「人工知能」だのといった目新しい言葉をいったん脇に置いて、資本主義経済の下での機械化が人間労働に与えるインパクトの歴史を振り返っておく必要がある」というものです。
- 働くことの意味を問いたい方
- AIと働き方について深く考えたい方
本書の構成について
本書は全部で6つのパートから構成されています。
- 近代の労働観
- 労働と雇用
- 機械、AIと雇用
- 機械、AIと疎外
- では何が問題なのか?
- AIと資本主義
人工知能の発展が労働者に与える影響
人工知能の発展が資本主義経済下のとりわけ労働者に対して与えるインパクトには次の2つがあると著者は指摘します。
- 発展がもたらす劇的な労働生産性の上昇が雇用減につながらないほどの所得の増大=全般的な経済成長は可能であるのか
- 可能である場合、そのような成果の配分は人々の間の、とりわけ資本家、有産者と賃金労働者の間の格差をより一層増大させることにならないか
長期的に見れば、心配すべきは失業ではなく、生産性向上の分配が十分に労働者に還元されるかどうか、人工知能を所有する資本家との格差が大きくなるのではないか、というところだ、と。
労働の二重性
別々の階級に引き裂かれている労働の二重性というマルクスのビジョンを次のように著者は取り上げます。
このどちらもが、「疎外された労働」であると言えるのです。
近代的二分法が融解する
極めて図式的にいうと、世界は「人」と「物」に分けることができます。
ここで言う近代的二分法とは、世界の中に存在するものを「人」と「物」とに大別して、道徳的行為の主体であるのみならず、道徳的配慮の対象となるものは「人」のみであり、「物」はもっぱらそのために動員される資源として扱ってよい、という発想です。
現時点でのAIの位置付けは「物」でしかありません。
しかしながら、この先の判断は不透明であると言わざるを得ないのです。
場合によっては、「人」と「物」の中間のカテゴリーが生まれるかもしれません。
それは当然に、「人」の定義を変えてしまうことになるでしょう。
旧来の「人/物」図式が前提としていたような、人間の法的・道徳的な同格性、近代的な「人権」理念は、どこまで守り切れるでしょうか?
ある意味、人を人たらしめていた「労働」の定義が変容するのです。
AIによって。
あなたにとって労働とは何かの意味を考えることは、そのまま自分とは何かを問うことに直結する時代をこれから迎えることになるのでしょう。