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現役人事部長の 雑記blog

仕事にセンスは必要不可欠で、もしかしたら学習不可能なものなのかも

投稿日:2016-12-16 更新日:

 

小林秀雄のCDをiPodに入れ、通勤時に聞いている⇒

生前、講演の類を録音させなかった人だったが、九州の若者たちを前にしたその講演だけは、主催者側が勝手に記録していたので、没後、遺族の許可を得て、公開の運びとなったようである。

仮にこのような偶然がなければ、後年、われわれは彼の肉声に触れることができなかったことを考えると、それは大変に恐ろしい事態の回避であった。

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聞いたことがあれば、皆すぐに指摘するであろう

古今亭志ん生にそっくりなのだそうだ。

物言いも声音も。

本当に味のあるしゃべりだ。

小林がまねをしたのかどうかは知らない。

講演のためにまねて練習したという説もある。

イイ感じ、リラックス

講演というスタイルからか、非常にリラックスしたいい感じが、伝わってくる。

そのなかで、小林はたびたび、言葉では言い表せないという言葉を口にする。

頭の中の格闘をなんとかして言語化してきた批評家らしからぬセリフともとれるが、それが本心なのだろう。

要するに、真理に対して誠実なのだ。

ああ言い表せない

このような小林の発言を聞くにつれ、ああそうなんだよな、と思ってしまう。

言葉では言い表せないことの数々。

ビジネスにおいて言葉で言い表せないことは、やはり言い表せない。

同語反復的心情の吐露。

そして、それこそが大事なことなんだ、そういうことである。

伝えたいために、多くの言葉を費やし、たくさんの時間を使って、届けようとする。

けれども、それは所詮、私の伝えたいことの「剥製」であるのかもしれないと思うことが、しばしばある。

これをコミュニケーション下手としてしまうと、話は不毛を引き寄せて、そこで終了してしまう。

振り返らないで先を急ごう。

「剥製」とは何?

「剥製」とは、正真正銘の本物であるのだが、血が通っていないので、贋物ではないが本物とは言い切れない、何かである。

「剥製」で間に合う場合もある。

というか、多くの場合、「剥製」で十分に間に合ってしまう。

しかしながら、本当に伝えたいことは、言葉で言い表すことができない。

「剥製」では用が足りないのだ。

であれば、どうしたらいいのか。

センスの世界

説明を受けなくても、わかってもらうしかない。

というか、わかってしまうものなのだ。

これをある人は、センスと呼ぶこともある。

センスのあるなし。

認めたくないものだが、ビジネスの現場においては、センスのあるなしが圧倒的にものを言う場面がたくさんある。

センスは後天的に、トレーニングを経て獲得できると思っていた時期があった。

しかしながら、最近は、ちょっと違うかなと思い始めている。

残念ながら。

芸術の話ではない、勿論

いま、芸術の世界のはなしをしているわけでは、もちろんない。

ビジネスの世界の話だ。

そして、このセンスはある集団や社会に限定的に共有されている価値観のことではないと思う。

それであれば、どこかに救いはある。

そうではなくて、永久不変とは言わないまでも、なにか根本原理に似た感覚的なものなのだ。

センスのあるなしで一刀両断する評価の愚は避けなければならない。

が、それでもセンスなんだよなあ、と非論理的な展開が続いてしまう。

センスの欠片もない、エントリーは突然に宙吊りにされる。

やれやれ。

水たまりの一滴

小林秀雄の講演の第一巻と第二巻は絶品です。

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