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現役人事部長の 雑記blog

ベネディクトゥス・デ・スピノザの訓え

投稿日:2016-11-19 更新日:

 

古い話⇒ 

昔話をします。

極私的な古臭い話を。

意あって力及ばず、というのがそのころの私の実態であったと思う。

たぶん同じような境遇にいた友人たちも似たようなものだったとそう思いたい。

当時、村上春樹氏の新刊は一大ブームを巻き起こし、買ってすぐに読んだ記憶がある。

『ノルウェイの森』

『蛍』が好きだったので、一度目はあっという間に読み終えた。

私の通うキャンパスには影も形も残っていなかったテイストに酔いしれたものだ。

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恋愛小説から遠く離れて

めずらしく続けてもう一度読もうという気になった。

読みなおした後に、それはたぶん夜遅い時間だと思うが、これはやばいと声が出ていた。

なにがやばいのかは往時も今も見当はつかない。

が、上下二巻の赤表紙と緑表紙をごみ箱に放り込んだ覚えがある。

高校生ぐらいから本に対する執着(愛着)心といったものがあまりなかった。

単なる恥知らずです。

なんのためらいもなく、もういいやと思った本はすべて捨てていました。

必要ならばもう一回買えばいいと金もないのにいまもそう思っている。

たぶん、悪癖なのだろう。

治る見込みなし。

哲学の方へ

村上の小説と決別し何を勢い込んだのか岩波文庫の哲学書上下二巻に取り組み始めた。

『ノルウェイの森』から『エチカ』への転回はそのようにして行われた。                  

ノートをとりながら書物を読んだのはほとんどそれが初めてであった。

極めて思弁的でありながら途中で放り出したくなるような箇所はひとつもなかった。

しかしながらそれは読解が容易に進行することと別であった。

少しづつ本当にゆっくりと読み進んだ。

意味が見えないところは意味が降ってくるまで。

どうしても分からないところは、分からないという感じが私のあたまに馴染むまで立ち止まった。

そのようにしてようやく読み終わったときのノートも感慨も私の元をすでに去ってしまった。

けれども、やばいというその時の感覚は私の邪魔をしないぐらいにまで小さくしぼんでいた。

ある種のリハビリがなされたのであろう。

それがベストの選択であったかどうかの自信はもちろんない。

が、間違いではなかったと、今も云い切れる。

100%の恋愛小説から逃れるためには、幾何学美を備えた倫理の書が必要だったのである。

倫理的であるということ                  

スピノザは言う。

なにかから遁れるためには、そのなにかを考え続けるしかない。そしてそのような時にだけ、ひとはそのなにかから遁れることができる、と。

それからの人生において、わたしはこのことの意味を事あるごとに確認した。

自分の中にも、他人の中にも。

いろいろなものから、遠くはなれてしまった地点にいま立っている。

良い悪いの判断は宙吊りのまま。

それが年をとるということなのだろう。

小説は人を怯えさせるし、哲学もまた人を不安にする。

小説は人を助けるし、哲学も同じく人を救う。

けれども、小説も哲学もない世界で人は生きることも死ぬこともできはしないのだ。

水たまりの一滴

スピノザを読んでいると鎮静効果が働きます。機会があれば手に取ってみてください。

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現役人事部長のパドー1000と申します。雑記blog「シンキング・パドー」を書いています。
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