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現役人事部長の 雑記blog

3つ数えるうちにあなたは「数学する身体」を読みたくなる。3,2,・・・

投稿日:2016-12-25 更新日:

 

数学したくなる身体⇒

話題になっていた本書を読み終えた。

納得の一冊。

異色の数学者の、ものを考える軌跡がここに詰まっている。

できれば、多くの若い人に手にとってほしい一冊です。

ミック
・・・3
キース
・・・2
ごんぞう
・・・1
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まぎれもなく数学者の数学書

難しい公式も数式も一切出てこない。

エッセイ風の体裁であるが、ここには、著者の数学に対する考え方が徹頭徹尾示されている。

数学は身体の技法のひとつである。

このことをめぐり、数学の歴史を概観しながら、あるいは天才数学者や哲学者に触れながら、論考が深まっていく。

小難しい用語や語句はいささかも出てこない。

著者はゆっくりと、我々読者に歩調をあわせるかのように、しっかりとした足取りで進めていく。

岡潔という魂

著者が私淑する数学者岡潔に関する論考は、読み応えがあり、優しさに満ちた文章が延々と続きます。

ここだけでも、買って読む価値がある。

わたしが、特に考えさせられたのは、「わかる」に関する箇所です。

物に入るということ

少し長くなるが引用します。

道元禅師は次のような歌を詠んでいる。
聞くままにまた心なき身にしあらば己なりけり軒の玉水
 
外で雨が降っている。
禅師は自分を忘れて、その雨水の音に聞き入っている。
このとき自分というものがないから、雨は少しも意識にのぼらない。
ところがあるとき、ふと我に返る。
その刹那、「さっきまで自分は雨だった」と気づく。
これが本当の「わかる」という経験である。
岡は好んでこの歌を引きながら、そのように解説をする。

このあと、著者は有心と無心についての話を続けます。

要約するとつぎのようになります。

そのものに没入し、無心となり、ふと我に返り、有心に還る。
その移行において「わかる」が立ち上がる。
無心のままでも、有心のままでも、「わかる」は決してわからないのだ。

ハイデッカーの教え

別の箇所で、ハイデッカーを引用し、学びについても述べています。

学ぶとは、はじめから自分の手許にあるものをつかみとることである、とハイデッカーは言う、と述べた後に、そのことの理解を著者は展開していきます。

ここでは、これ以上著者の考えを追ってはいきません。

ただ、このハイデッカーの言葉はあまりに示唆的なので、以下自分なりの解釈を少しばかり述べます。

自分の中にすでにあるもの?

学ぶとは、はじめから自分の手許にあるものをつかみとることである」は次のように解釈することができるでしょう。

ひとは教えてもらうことはできても、学ぶことはできない。

学ぶとは、あくまで自発的な行為であるのだが、じぶんひとりでは成し遂げることができない。

自らが対象に没入し、そこを離れるときにだけ、ひとは学んだ=わかった自分と出会うことができる。

 

うーん、結論を先急ぎせずに、ゆっくり考えていこう。

正月も近いし。

考える楽しみができました。

「わかる」を見つける旅に出よう

本書を読んで、世阿弥の「守破離」についての理解も少し進みました。

若干ね。

来年は世阿弥、読み直そうかとも思います。

本書は、発見に満ち溢れた書です。

いろんな読み方ができる、ほんとに。

一年後、わたしはまた手に取りたいと考えています。

何かわかったら、また来年書きます。

 

水たまりの一滴
考えてみれば、読書は極めて身体的な技法ですね。

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パドー1000

パドー1000

現役人事部長のパドー1000と申します。雑記blog「シンキング・パドー」を書いています。
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