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現役人事部長の 雑記blog

ベルクソンの「創造的進化」は春の小川のようにうららかである

投稿日:2016-11-27 更新日:

 

ノートを取りながらの読書⇒

一頃、ノートをとりながら頁をゆるりとくっていた時期があった。

大昔です。

最初は、スピノザの『エチカ』だった。

二度目は、ドゥルーズの『ニーチェと哲学』であった。

リズムが出てきた三冊目が、ベルグソンの『創造的進化』である。

ああ懐かしい。

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創造的進化

衆知の通り、哲学史とはギリシア=ゲルマンをその正統とし中道とする。

そのなかにあって一目も二目も置かれるフランス人はベルクソンをおいて他にはない。

『時間と自由』。『物質と記憶』。『創造的進化』。『宗教と道徳の二源泉』。

どの一冊をとっても、ドイツの生硬な哲学とはまるで違う印象を読者に与える。

喩えていうならば

印象を喩えます。

目の前に小川があるとする。

その涼やかな流れをキャッチしてみたいと思ったとしよう。

もちろん、そんなことができるはずがないことを「おとな」なら誰もが分かっている。

しかしながら、「こども」は違う。

彼(彼女)はその流れをじぶんのものにしようと身をかがめ両手を水の中に差し入れる。

そのようにして「ながれ」をてのひらの上に掬いとろうと何度もこころみる。

飽きもせず、何度でも何度でも。

喜々として、嬌声がワルツする。

これとまったく同じことを、ベルクソンは息を引き取るまでやり続けた。

淀みや鏡面は、はなから相手にはしない。

この哲学者は最期の最後まで「うごき」をアリノママに見定めようと思索を生きぬいた。

ゆえにその思考に触れれば知の波を震わされ、このうえもなく気持ちがすっきりとしてくる。

赤頭巾ちゃん気をつけて

ところで、サリンジャーなみの隠遁作家、庄司薫は『赤頭巾ちゃん気をつけて』のなかで主人公に次のように謂わせている。

「知性というものは、すごく自由でしなやかで、どこまでもどこまでものびやかに豊かに広がっていくもので、そしてとんだりはねたりふざけたり突進したり立ちどまったり、でも結局はなんか大きな大きなやさしさみたいなもの、そしてそのやさしさを支える限りない強さみたいなものを目指してゆくものじゃないか……」

 アンリの著作にはこの「やさしさ」と「強さ」がしずかにそしてゆたかにとうとうとながれている。

水たまりの一滴

哲学が好きになるならないは、ベルクソンにいかに早く出会うか出会わないかが、大きいような気がします。

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