中上健次の「岬」はシンプルという魔力に満ち満ちている

投稿日:2016-11-21 更新日:

個人史に属する事柄⇒

当時、下宿専用に改造された一軒家の一室を寝処と定め大学へと通っていた。

幸運にも二階を占める四つの部屋のうち、ベランダに面するひとつを自室とすることができた。

あの頃は、気持ちばかりが疾走し、オツムは一向に周回遅れの日々であった。

読まねばという想いが部屋内と同等に頭の中を横溢する日々に埋もれ、時間ばかりが過ぎていく。

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数珠読書

一冊を読み通す忍耐力にあまり恵まれているとはいえないこの身。

チェーンスモーキングならぬ「数珠読書」により、自らの欠陥を少しでも補うべく活字の消化に勤しむ始末であった。

何冊もの書籍を厭きるが端より次から次へと渡りゆく。

今にして思えば、それは現在におけるKindleでの読書スタイルそのもの。

現在は渡り歩く冊数が飛躍的に増えたことになる。

テクノロジー様様である。

その所作は何巡しようとも然したる異化作用が脳の裡で生じるわけもない。

ただ一刻も早く本からの逃避を希求させる無駄仕事に堕するばかりであった。

そうするうちに意識が燻りはじめると、冬はさっさと蒲団を被る外なかったが、はたして夏は違った。

夏の夜

書物を放擲し明りを消すと、ベランダに腰を下して何ということもなく煙草を喫んだ。

その度ごとにほっこりとした静寂が私を重囲した。

さっきまで読んでいたあまたの断片が各々に呼応することは稀にしかない。

大抵薄ぼんやりとした想念の切れ端が紫煙と捩り合いながら私の元を去っていった。

暫くするとヘッドフォンをしたままベッドに潜り込む。

そのまま寝入るのが日課となっていたが、どうしても眠れぬこともままあった。

そのような時は決まってぐずぐずと逡巡した挙句に起上がり小説に向き合った。

岬、襲来

そのようにして私は、中上健次の『岬』と出遭った。  

「作品」は一晩で読み通すことを拒絶した。

読後感をごつごつした塊として直ちに意識の上に招引させない何かを有している。

それが自らの内で意味化することなど決してなかった。

最後に無理やりにひり出し形と成ったのは「シンプル」という一言であった。

Simple

それは単純や簡素といった意味を今も帯びてはいない。

そしてその対概念は「コンプレックス(複合・重層)」とは違う。

「シンプル」には対概念がごそりと抜け落ちている。

すなわち、『岬』を語るときの言葉としてそれは唇につたい昇るとりあえずの一語に他ならないのだ。

読む者を包み込むのと同じ力で突き放すそのような小説を私は漱石の『こころ』以外知らない。

還りたくとも二度と戻りえない場所が原初の型をもはやとどめないながらも、辛うじてその暖かな核心めいたものと取り結ぶ物語りが確かに存在し、私を離さないのだ。

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この物語は、後に三部作として完結します。日本を代表する物語の権化をできれば堪能してみてください。

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