世紀末の音楽、エレカシとB’z

投稿日:2016-10-08 更新日:

世紀末の気分⇒

我々中高年の世代にはなじみ深い「ノストラダムスの大予言」は、1973年に発刊されたが、これは1999年に人類が滅亡するとの予言を解説した、言わずと知れたベストセラー書である。

当時の我々は遠い将来に、そのような破滅が待ち受けていることを半ば冗談に、半ば本気にとらえていたはずだった。大人になり、いよいよその時が来てしまうと、当時のソワソワした、ざわざわした気分が蘇ったものだ。
世紀末
この世は終わるのであろうか、終わってほしいのであろうか。
そして、当然のごとく、何事もなく、2000年はやってきた。
内乱の予感のようなドキドキ感と、やはり何も起こらなかったんだという安寧とが世の中に渦巻いた。
そのような時代の雰囲気を鮮やかに切り取った才能が、当時、二人だけいた。
稲葉浩志と宮本浩次
B’zとエレカシだけが、時代に見事にシンクロした。

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世紀末の風景

世紀末と人が口にする時、少なくとも当時の日本人がイメージしたのは、「マッドマックス」や「北斗の拳」や「AKIRA」の醸し出す世界観とそれほど遠くないところにあったはずだ。

秩序なき、力だけの世界。
しかしながら、そのようなカルチャーが想起させるイメージと現実のギャップは、相当にあった。
そのギャップは、絶望を希求しながら決して絶望感に突き落とされない者だけが知ることのできる落差であっただろうか。

ガストロンジャーとさまよえる蒼い弾丸

その落差を宮本は鮮やかに切り取る。

嗚呼そして我々が受け継いだのは豊かさとどっちらけだ。

ガストロンジャーと呼ばれる曲の一節である。
題名に意味はないらしい。
本人がそう言っているのだから、間違いないのだろう。
わたしが、この曲を初めて聞いたのは、忘れもしない「HEY!HEY!HEY!」での演奏であった。
お茶の間に衝撃が走った。
こんな突き抜けた曲があるのかと、腰が抜けた。
この曲は、歌詞にクレームがつき、TVやラジオで放映放送するのに苦労する楽曲であったそうだ。
1999年12月にリリースされている。

一方、稲葉は次のようにシャウトする。

誰かが残していった退屈あくびがでちゃう(ゴロゴロしちゃう)平和というのはそんなもんだろうか そんなのアリですか?

CMとのタイアップであったこの曲は1998年4月にリリースされている。
アルバムを待たずにシングルを購買させるほどのインパクトがあった。

大好きな曲だ。

総中流という名のノスタルジア

お判りのように、ここには今では想像できない一億総中流意識が恥ずかしげもなく顔を出している。
そう、これが、当時のわれわれの根っこの部分である。
そこそこ経済的に恵まれているが、なんだか突き抜け感が足りないんだよね。

シラケとも閉塞感とも違う、この引き伸ばされた中途半端感。
格差社会が浸透した今日から見れば、天下泰平にもほどがあるだろう。
自分たちは先行する人々の努力の上で豊かさを享受している。貯蓄が底をつくのは時間の問題であるはずである。でも、動かない。動けない。なんか面白いことないかなあ。刺激もなく、面白みにかけるので、時間を持て余すんだよね、ダヨネー。時間だけはあるんだよね。だって新世紀、もうじき始まるっしょ。
今から思えば、幸せな時代であったのだろう。間違いない。

アカルイ絶望

この絶対安全地帯からの絶望の希求こそが当時の日本人の世紀末感であった。
優れた2つの感性は、見逃すことなく的確に時代の空気をすくい上げたのだ。
しかも、とびきりのビートとグルーヴ感のもとで。
次の世紀末においても、このようなアカルイ絶望は商品化されるのであろうか。

胸をはってさ そう
もっともっともっともっと速く

我々はたかだか二十年に満たないうちに、本当に遠くまで来たものだ。

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