知のヒーローとしての山本義隆、「知性の叛乱」を君は読んだか

投稿日:2016-11-23 更新日:

山本義隆⇒

もう何年も前になるが、山本義隆氏の著作『磁力と重力の発見』全三巻が新聞書評で紹介されていた。

全共闘騒動の最大の損失は、山本義隆が研究者の道を外れ、後進の指導にもあたれなかったことだ」とあった。

湯川秀樹からその将来を嘱望されていたと、どこかで読んだことがあったので、そのとおりなのだろうと思う。

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内田氏のブログにて

内田樹氏の著作もブログも好んでよく読むファンなので、これも以前に読んだ記事をご紹介します。

大好きな文章なので、長くなりますが引用したい。

2006年4月27日 政治を弔うということ 内田樹の研究室より

東大全共闘は政治運動としてある種の完結性をもつことができたと私は思っているが、それは山本義隆という個人が「弔い」仕事を引き受けたからだ。
痩せて疲れ果てた山本義隆が1974年の冬、東大全共闘最後の立て看を片付けているとき、彼の傍らにはもう一人の同志も残っていなかった。
冬の夕方、10畳敷きほどある巨大な立て看を銀杏並木の下ずるずるとひきずってゆく山本義隆の手助けをしようとする東大生は一人もいなかった。
目を向ける人さえいなかった。
法文一号館の階段に腰を下ろしていた私の目にそれは死に絶えた一族の遺骸を収めた「巨大な棺」を一人で引きずっている老人のように見えた。
東大全共闘はひとりの山本義隆を得たことで「棺を蓋われた」と私は思っている。

山本氏のイメージはわたしにとって徹頭徹尾このイメージである。

予備校にて

この市井の物理学者はいまも駿台予備校で物理を教えているのだろうか。

流石に高齢のために職を辞したのであろうか。

わたしは高校生のときに、知一般に憧れて、彼の夏季講座を友人にたのみ、とってもらったことがある。

文系志望にもかかわらず。

不真面目な男だ。

ロックスターに会いに行くような興奮とともに数回に渡る彼の授業(ライブ)の席についた。

内容は端から頭に入る余地などなかったが、ひとつだけ今も覚えていることがある。

「どのような法則も、高校の最初の授業で習う基礎的な法則に常に立ち戻りそこから出発しなければならない」

彼はそう言った。

一見自明で非効率的な作業を通して彼がなにを「受験生」に伝えようとしたのかを、当時も今も全くわたしはわかっていない。

ささやかな夏の思い出である。

上野にて

上野駅周辺は今はもうすっかり小奇麗になった。

上野公園へ向かう横断歩道を渡ると公園と反対方向の先に、映画館と古本屋があったことを知る人はもう少なくなってしまった。

その古本屋において、どうしても手に入れたかった山本氏の「知性の叛乱」を手に入れることができた。

今も手元に置いている。

当時の彼の行動の功罪を私は直接に知らないし、知ろうという気持ちもない。

憧れだけが、現在もくすぶり続けているだけだ。

今も彼はわたしのヒーローである。

水たまりの一滴

できれば理系に進みたかった。

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