よそんちの靴下の洗い方が今更ながらに気になって仕方がない

投稿日:2016-12-18 更新日:

 

たまに、ごくたまに、靴下を洗う⇒

一人暮らしをしていたときは、一切合財を洗濯機に放り込んで、あとはよろしくだった。

が、今は違う。

他所んちも、そうなんだろうか。

気になってしょうがない。

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二段階プロセス

靴下は靴下単独でしか、家内は洗濯をしない。
ゆえに、ある程度まとまった量になるまで、洗濯は開始されない。

理屈はわかる。
が、問題は、まとまった量の捉え方の相違である。
これは、ためすぎでしょうが、往々にしてある。

さて、洗濯の仕方である。
いきなり、洗濯機には靴下は雪崩込まない。

なぜ?
ワンクッションある。

まずは、洗面台で軽く濯がれる。
なぜ?

洗面台でのお清め

理由はこうだ。
そのまま放り込むと、砂が混じっているので、機械に悪い影響が出る。
機械思いなのだ。

ひとつひとつ、靴下を表に裏返し、軽くもみ洗いがなされる。
丁寧な仕事ぶりだ。

みるみるうちに洗面台に溜めた水は濁っていく。
靴下は汚い。

そのことが実感できる貴重な機会を得ることができる。

そして、当然のように、靴下の軽いもみ洗いが終了した暁には、洗面台の清掃が待っている。
靴下を洗ったこの場所をキレイにしないままに、顔を洗ったり、歯を磨いたりすることなど、言語道断なのだ。

干し場にて思うこと

靴下を干すには、それなりのスペースが必要である。
従って、その他の洗濯物とバッティングしないように、「空き」の事前確認が必須となる。
面倒くさい。

そして、何よりも面倒なのは、ひとつひとつ洗濯ばさみで止めていく、気の遠くなるような作業あるいは、気を失ってしまいたいような作業であろうか。

作業中は、ある地点から無我の境地に自分は入っているんだと無理矢理にでも思わないことには、自らの状態を許容できなくなる脱力感に完全降伏してしまうこととなる。

ああ無情。

締めの言葉

これだけで、もちろん終わらない。
乾いた後の取り込みもさることながら、ペアごとにいっしょにする作業がジョーズの口のごとく牙を剥いて待っている。

というわけで、ここまで書いてきて、洗い方云々よりも、靴下を洗う一連の作業の煩わしさが延々と述べられていることに気づく。

そう、全然全自動でないことに、向き合えないのだ。

わたしは、高名な寿司職人ではない。
なぜ、これほどまでに丁寧な仕事ぶりを要求されねばならないのだろうか。

ネットで靴下の洗い方、干し方を検索し、我が家のやり方のダメぶりが決定的に証明されることが怖くて怖くて、グーグル先生にはどうあっても聞けない。

もうしばらく、このままでいよう。

ただ、これだけは聞かなくてもわかる。

うちの洗濯機は幸せものだ。

水たまりの一滴
よそんちは本当にどうしてるんだろうか?

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