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現役人事部長の 雑記blog

衣食住の食

投稿日:2016-12-25 更新日:

 

病気になって食べることについて考えるようになった⇒

今年のはじめに食道の病気になり、結果として食事制限を余儀なくされている。

それ以来、食について考えることが多くなったような気がする。

それでは、衣食住における食についてお話します。

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衣食住の中のポジション

衣食住と3セットで語られることが多い。

が、生命を維持する上では、食が最優先事項、最重要項目であることに異論はないだろう。

食べることがすなわち生きることであることは、現代においても珍しくはない。

ただ、そのような立場に偶然立っていないだけの話であろう。

そして、食べることは、生活をしていくこと、金を稼ぐことも同時に意味している。

おまんまの食い上げは、直裁的であるが訴求力の高い表現でもある。

食の時代

現代において、食の大切さはますますクローズアップされてきている。

どこで作っているのかと同等に誰が作っているのかも関心が高くなっている。

顔が見える安心感は、WEB上だけではなく、あらゆるシーンで求められてきているのだろう。

食の意味合い

食は、食べるものそれ自体と食事を同時に指す。

食事に焦点を合わせるならば、そこには当然に栄養を補給する以上の意味が常に付与されている。

関係性の強化のためには、食事をともにすることは極めて有効性が高い。

食卓を囲むことは、団欒に直結する。絆を深めるのだ。

すなわち、共同体を形成維持しなければ、ひとは生き抜くことが困難となってしまう、そのような意味を帯びていると言いえる。

であれば、個体性が強いと思われた食は、その他の衣や住と同じく社会性を一定程度担っていると言わざるをえないのであろう。

食があぶり出すもの

わたしは、食道の病気の治療の過程で、食事制限を余儀なくされ、結果として体重が20KG程度減少した。

そして、今も食べるものが限られてしまっている。

あれほど好んで飲んだ、コーラも珈琲も口にすることは今後も一切ないだろう。

刺激物も、熱いものも、多くの肉類も、殆ど食べることができない。

こうなると、自然と付き合いも少なくなり、不特定多数で席をともにするということもなんだか億劫になってくる。

かように、関係性の強化のための食の機会において、わたしのような「半端者」はお呼びではない。

つまり、食卓を囲むことを許されるのは、健常な胃を有する者たちだけということになる。

食の場面は、ある意味、健常性を炙り出すリトマス試験紙の役割を果たしてきたのであろう。

生き延びるためのメンバーにふさわしいのかどうかを。

孤の時代に向かって

お一人様が増加傾向にある現代社会において、衣食住の意味も自ずから変化を強いられていくのであろうか。

社会性を剥ぎ取った個と個の集まりが、「社会」の意味を変容していくのかは、我々次第である。

来るべき共同体が、立ち現れてくるのか否か、さあどうなんだろう。

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現役人事部長のパドー1000と申します。雑記blog「シンキング・パドー」を書いています。
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