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高校入試に内申制度はいつまで首を突っ込むつもりか

投稿日:2017-01-12 更新日:

内申制度は制度疲労している⇒

自分が現役中学生の頃から疑問に思っていることがある。

内申制度の欺瞞だ。

本日はそのことについて書きます。

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内申における不整合

これから内申制度に関する疑問を書き連ねますが、ここでは、9教科の素点に限定して述べます。

それ以外の学校生活やその他活動を含めた総合的な内申に関しての言及ではないので、あらかじめご了承ください。

現在、高校入試は公立高校の場合、都道府県を問わず、英語、国語、数学、理科、社会の主要5教科について学力考査を行っている。

しかしながら、内申はこれに、技術家庭、美術、音楽、保健体育のその他4教科を加えた9教科の総合点により評価される。

矛盾が露呈している。

9教科すべてが同等に価値あるものならば、試験も9教科実施すべきではないのか。

逆に言うと、そうでなければ、内申は主要5教科のみを採用すべきではないのか。

整合性がまるでとれていない。

わたしは、ここで主要5教科とその他4教科という語句を使用した。

その理由は、現行の高校入試において先の5教科のみがテストを課されていることに則したまでであり、私の価値観が一切反映していないことをここに述べておく次第である。

ウエイト変更による公平性の実現

現在、主要5教科とその他4教科は、等しく5点満点の合計45点満点にて学年ごとに評定される。

学力テストで重要視する主要5教科と試験を実施しないその他4教科がなぜ同価値とみなされるのか。

おかしくないだろうか。

この矛盾を解消するためには、9教科すべてを評価の対象とするのであれば、ウエイトを変えるしかない。

すなわち、主要5教科は二倍、もしくは三倍に換算して算定を行えばいい。

これにより、合理性は獲得される。

才能を高く評価することの是非

主要5教科の点数は、努力に正比例する。

高校入試程度の学力試験に才能は無関係である。

当然だ。

才能が大きく物を言うのでは、たまったものではない。

才能が大きな顔をするのであれば、勉強の喜びや努力の尊さを中学生は決して学ぶことはないだろう。

だから、勉強量がすべてである。

しかしながら、その他4教科は違う。

正確に言うと、美術、体育、音楽は違う。

そこには才能や素養が確実に強く反映される余地がある。

いわゆるセンスが物を言う世界である。

プロの世界ではあるまいしという意見が口にされそうである。

が、学校が求めるレベルに満たないセンスしか持ち合わせないものに救済の余地はあるのかないのか。

ないのである。

従って、このような個人の学習態度や努力では如何ともしがたい要素が大である教科を内申の対象とすることは、公平性の担保なされているとは言い切れないのではないか。

というわけで、すみやかにその他4教科は除外されるべきであると考えるが、いかがでしょうか。

調整不能、不可能

中学校間の学力格差が公然とあるにもかかわらず、一切調整がなされずに各中学校からの内申点を一律同等に扱うことに、そもそものはじまりから無理があるのではないでしょうか。

各学校のカラーや教師の考え方により、内申点の甘辛は当然に存在します。

評価行為における偏差の完全なる排除は事実上不可能です。

そして、複数の異なる学校間の評価の調整も不可能です。

であるならば、このような不確実性の高い要素をあらかじめ排除することが真の公平性・平等性の実現であると素朴に思います。

よって、内申制度それ自体の廃棄を大いに検討すべきではないでしょうか。

ごくごく一般的な提案

以上から、わたしは次のような結論に至ります。

ある意味当然の帰結ですが。

公立高校入試は、大学入試と同じく、学力試験一発勝負を基準とする。

内申点は一切考慮しない。

但し、多様な人材の獲得のために、試験方法は多様化することが望ましいために、推薦や内申点のみの採用方法による募集も一部実施する。

 

水たまりの一滴

先の私の幾つかの疑問に関しての合理的説明を切に求めています。尚、建設的意見以外は一切お断りとさせていただきます。

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